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「藍君も来ました」“最強リベロ”佐野優子はなぜ“人気クレープ屋”へ転身した? 五輪メダリストの第二の人生「バレーと一緒でなかなか極めきれない」

posted2024/07/24 11:03

 
「藍君も来ました」“最強リベロ”佐野優子はなぜ“人気クレープ屋”へ転身した? 五輪メダリストの第二の人生「バレーと一緒でなかなか極めきれない」<Number Web> photograph by Noriko Yonemushi

京都・嵐山でクレープ屋を営む元バレーボール日本代表・佐野優子(44歳)

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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Noriko Yonemushi

 元バレーボール女子日本代表・佐野優子氏の五輪直前インタビュー。全3回の最終回では、京都・嵐山でクレープ屋を営む現在について。高橋藍も訪れたという人気店の秘密とは?【NumberWebインタビュー全3回/ロンドン五輪を振り返った1回目2回目も公開中】

 平日の昼間だというのに、電車は満員だった。しかたがない。電車の行き先は京都の中でも指折りの人気観光地、嵐山だ。乗客のほとんどが外国人だった。

 ロンドン五輪で銅メダルを獲得した元バレーボール女子日本代表のリベロ・佐野優子は、現在嵐山で妹とともにクレープ店『PETIT BONHEUR(プティ ボヌール)』を営んでいる。

 阪急嵐山駅で下車し、待ち合わせた喫茶店でインタビューしたあと、一緒にクレープ店に向かった。中ノ島橋を越え、観光客が行き交う渡月橋を渡る。北嵯峨高校時代に毎日自転車で通っていた通学路だという。

「お店を持つのはずっと夢だった」

 店をオープンしたのは2021年。きっかけはコロナ禍だった。

「自分のお店を持つのはずっと夢だったんです。でも引退してからは、ありがたいことにバレー関連の仕事(バレー教室や解説など)をいろいろやらせてもらっていました。それが、コロナ禍になった時に、イベントとかができなくなって外に出る機会がいっさいなくなってしまった。何もしない状態でずっといるのが苦しくて(苦笑)。それなら、こんなコロナ禍だけど、ちょっと物件探してみようかなと思って」

 店を持つ上で、絶対に譲れない条件が“嵐山”だった。

「なんというか……一番落ち着く場所なんです。高校の時は高槻にあった実家から通っていたんですけど、嵐山駅から自転車に乗って、渡月橋を渡って……ここは通学路だった馴染みのある、それでいて飽きない場所。ちょっと憂鬱になりながら学校に行ったこともあったけど、そういう時もこの景色に癒されていました。私にとってパワースポット的な、一番しっくりくる場所なので、ここなら長く続けられそうだなと思って」

【次ページ】 そもそも、なぜクレープ屋を?

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