「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「負け犬根性が蔓延…これじゃ巨人に勝てるはずがない」広岡達朗は“弱小ヤクルト”をどう変えた? 92歳の告白「私が若松勉を叱責したワケ」
posted2024/07/13 11:04
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Sankei Shimbun
電話越しに繰り返した広岡達朗との対話
2024(令和6)年2月、広岡達朗は92歳になった。この1年余り、定期的に広岡に話を聞き続けている。
「この年になると、いろいろ不具合が生じてくる。でも、それが自然の摂理。人間とはそういうもの。決して逆らってはいけない。だから、耳がちょっと遠いので、ゆっくりと大きな声で話してほしい。早口でギャーギャー、ギャーギャー言われると、何を言っているのかわからんから、その点は、どうぞよろしく」
広岡への電話取材の冒頭では、必ずこのように念を押される。したがって、普段よりも大きな声でゆっくりと、ハッキリと質問を重ねるのだが、それでも「えっ、何? もう一度、ゆっくりと大きな声で」と言われることは何度もあった。だからこそ、対面での取材を求めるのだが、返事はいつも同じだった。
「妻の体調が悪くて、いろいろ世話をしなけりゃならん。家の中もとっ散らかっていてとても人を呼べる状態じゃない。おまけにひざも悪くて、外出もままならん。悪いけれど、電話で頼む」
こうして、電話でのやりとりが続くこととなった。多いときには週に1~2回程度、少ないときでも、月に数回は広岡の携帯電話、もしくは自宅の固定電話に架電した。何度も電話しているのに、最初の頃は「え、誰?」といつも尋ねられた。名前を告げ、用件を告げても、あまりピンと来ていないようだったが、それでも、話を続けているうちに当時の思い出話が次から次へと口をついて出てくる。
ヤクルト監督時代の象徴・若松勉
1年前、Number Webにおいて、彼がヤクルトスワローズを日本一に導いた「広岡達朗の1978年」についての連載が始まった。この時代について質問していても、気がつけば彼が現役時代に体験した川上哲治との愛憎入り交じった因縁、それは怨念と言ってもいいほどのエピソードが次から次へと披露された。あるいは、ジャイアンツの現状を嘆く言葉が続いた。それらの多くは、すでに彼の著作やインタビュー記事において何度も述べられているものだった。