「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

「負け犬根性が蔓延…これじゃ巨人に勝てるはずがない」広岡達朗は“弱小ヤクルト”をどう変えた? 92歳の告白「私が若松勉を叱責したワケ」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/07/13 11:04

「負け犬根性が蔓延…これじゃ巨人に勝てるはずがない」広岡達朗は“弱小ヤクルト”をどう変えた? 92歳の告白「私が若松勉を叱責したワケ」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

王貞治、若松勉と歓談する広岡達朗(1998年)。ヤクルト監督時代、王を中心とした古巣・巨人こそが広岡にとっての“仮想敵”だった

「若松はとても真面目な男なんです。練習態度もいいし、技術向上のためならどんな努力もいとわない。四六時中、バッティングのことを考えている男。寡黙で浮ついたところがないのもいい。プロとして自分のやるべきことをきちんと理解している男です……」

 そして、広岡は重要な点を指摘する。

「……ただ、当時の若松は自分のことしか考えていなかった。“自分の成績がよければ、それがチームのためになる”という考えだった。でも、それじゃあダメ。私が求めたのは、“もっと率先してチームを引っ張っていってほしい”ということ。だから、若松に対してはことのほか厳しく当たることを決めたんです」

あえて起こした、77年の「缶ビール事件」

 前述したように、広岡へのインタビューでは何度も同じエピソードが披瀝される。「広岡が語る若松」でのそれは、監督就任2年目となる77年シーズンの「缶ビール事件」である。遠征のための移動中、選手たちを乗せたバスがサービスエリアに停まったときのことだ。本連載における若松の言葉を再掲する。

「トイレタイムでサービスエリアに寄ったときに、それぞれトイレに行ったり、飲み物を買ったりしました。僕は、“甘いジュースを買うぐらいなら缶ビールでもいいだろう”って、ビールを買いました。コーラやジュースよりは身体にいいだろうと思ったからです(笑)。どうやら、その姿を当時のコーチに見られていたようで……」

 翌日、右足に痛みがあった若松は別メニューでの練習に臨んだ。それを見た広岡は、「足が痛いのならビールなんか飲んだらダメだろう」と叱責する。若松が続ける。

「黙って下を向いていたら、“お前は返事もできんのか?”と叱られて、続けて“お前なんか他の球団に行ったらレギュラーで出られるか”と言われました。このときは、“クソーッ”と思いましたね」

 この場面は、八重樫幸雄や杉浦享もハッキリと記憶していた。それほど、その場にいた者たちに強烈なインパクトを残した一件だった。しかし、それは若松本人にとってはもちろん、広岡にとっても忘れがたき出来事だったようだ。広岡は言う。

【次ページ】 「ようやく若松もひと皮むけるぞ」

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