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「こんなに苦しいなら辞めちゃった方が楽じゃん」ヤクルト・奥川恭伸が明かす復活までの壮絶な日々…見知らぬ人に手術を迫られ中傷も「あの涙の意味は」
posted2024/07/12 11:02
text by
横山尚杜(サンケイスポーツ)Naoto Yokoyama
photograph by
SANKEI SHIMBUN
視界が歪み、呼吸が浅くなる。「2年ぶりの一軍マウンドで……」とインタビュアーにマイクを向けられると、右目から一滴の雫が落ちた。すぐに左手でぬぐうもダムが決壊したように涙が止まらなくなった。京セラドームのお立ち台。2年ぶりの一軍登板で白星を飾り、安堵する奥川恭伸の表情が突如崩れたのは、奈落に沈んだ期間を訊かれた時だった。
「なんでなんだろう。自分でも分からないんです。よく覚えてもいないというか……」
胸の奥深く、秘めた記憶
まさか涙する、ましてや号泣するとは思ってもみなかった。その直前、チームメートの村上宗隆と長岡秀樹に「絶対泣くなよ」と茶化され、「泣きませんよ」と冗談を飛ばし合っていた。だが、空白の2年間を自分の言葉で紡ごうとした瞬間、深奥に秘めた記憶が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。そして自らを制御できなくなるほど両肩を震わせた。
「マウンドに上がる前、なぜこの試合に勝ちたいのかと考えました。この2年間お世話になって力を貸してくれた人に勝ちを届けたい。その人たちがパッと湧いてきたんです。自分が勝ってホッとしたとか、報われてよかったとか、そういうのは一切なくて、その人たちへの思いで涙が出てきた。それに尽きると思います」
2022年3月29日に神宮球場で途中降板してから800日以上が過ぎた。負傷した右肘と向きあう日々に始まり右足首捻挫、左足首骨折、右脇腹負傷、腰痛と故障の連続。新型コロナ、インフルエンザにも罹患した。
痛みと苦悩にもがいた日々
抜け出そうともがくたびに、さらに深くに引きずり込まれる流砂に浸かった。“地上”に立てたと実感するのは今季が始まってから。
「今までは疑心暗鬼で投げ終わって(右肘は)調子が良い時も悪い時もあった。それが本当に安定して調子がよくなってきた。朝動かして痛くない、投げ終わっても痛くない、翌日も痛くない。よし、いけると思いました。僕が求めていた感覚です」
涙のお立ち台から2週間後、初めて満員大歓声の本拠地で先発。5回1失点で2勝目も手にした。
復活できなければ、脳裏から抹消していたであろう記憶がある。寮の自室。奥川が2年間で最も辛かった時期、負傷から約半年を過ごした場所だ。右肘の治療法を模索する日々。