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ドジャース1年目「いつクビになるか…恥ずかしいですが何回か泣きました」「不安そうだった家族の顔が」斎藤隆が味わった“地獄から天国”
text by
間淳Jun Aida
photograph byTomosuke Imai
posted2024/07/07 17:01
06年、ドジャースのクローザーを任された斎藤隆。しかしその胸中は、いつ職を追われるかもしれないという不安だらけだったという
ベイスターズで投げていた頃はファウルにされていたスライダーが、米国ではフライや空振りになったという。メジャー1年目に記録した107奪三振はリリーバーとしては両リーグトップ。イニング数78回1/3を大きく上回る驚異的な奪三振率だった。
投手有利のカウントを整える研究も怠らなかった。
長打を狙うタイプの打者の多くは、得意なゾーンの近くに投球を仕留められないゾーンがあった。斎藤は試合前、各打者のファウルゾーンを映像で繰り返し見ていた。
「これだなと思いました」
どんなにアウトや三振を積み重ねても、喜びは一瞬だけ
ファウルでカウントを稼いで、大きく変化するスライダーで打ち取る必勝パターンを確立したのだ。確固たる地位を築き、チームからは絶大な信頼が寄せられた。ところが、斎藤から不安が払しょくされることはなかった。常に危機感でいっぱいだったという。
「クローザーまで上り詰めた感覚はシーズンを通じて全くありませんでした。心の中にあったのは、いつクビになるのかという不安だけです。自分がいるところはメジャーのエッジで、常にギリギリ。どんなにアウトや三振を積み重ねても、喜びは一瞬だけで、次の瞬間には『あす打たれたらクビになるかもしれない』という気持ちになりました。チャンスなのかピンチなのか感覚がおかしかったですね」
いつクビになるのか…不安は抜けなかった
試合を締めると、投手コーチから「great job」と声を掛けられる。
今思えば、祝福や賛辞の言葉と100%疑う余地がない。チーム内では斎藤が登板すれば試合に勝てる安心感から、「サミー(斎藤の愛称)に回せ」が合言葉となった。だが、斎藤は仲間の言葉を素直に受け入れられない。自分の活躍を報じるテレビを見ても、どこか違う世界のようで頭や心に落とし込めなかった。
「褒め言葉がワナにも思えてしまうんです」
当時の心境を表現した斎藤は、こう続ける。