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ドジャース1年目「いつクビになるか…恥ずかしいですが何回か泣きました」「不安そうだった家族の顔が」斎藤隆が味わった“地獄から天国”
text by
間淳Jun Aida
photograph byTomosuke Imai
posted2024/07/07 17:01
06年、ドジャースのクローザーを任された斎藤隆。しかしその胸中は、いつ職を追われるかもしれないという不安だらけだったという
安定した投球を続ける斎藤に対する首脳陣やチームメートの信頼は増していく。8回、9回を任された投手陣が崩れたこともあり、5月中旬にはクローザーに座るまでになった。
「段々、みんなから認められていくのが分かりました。初勝利を挙げた時、控え捕手のサンディー・アロマー・ジュニアに『Welcome to Big League』と声をかけられました。恥ずかしいですけど、ドジャースでの1年目は何回か泣きました」
直球とスライダーでほぼすべてのアウトを
斎藤は野球人生の崖っぷちから、メジャー屈指の投手へと一気に駆け上がった。動画サービス「Number PREMIER」に出演した際、成功した要因の1つに日本と米国のボールの違いを挙げている。
「自分が投げていたスライダーは変化が大きいタイプでした。米国のボールは空気抵抗が大きく、日本の時と同じように投げていても曲がりが大きくなりました」
近年はドジャース大谷翔平投手のスイーパーが注目されているが、斎藤のスライダーは球速85マイル(約137キロ)前後で大きく曲がった。直球は日本でプレーしていた頃より肘の位置を低くして、球速は常時95マイル(153キロ)前後を計測。ドジャース2年目の2007年には、当時の日本人最速となる99マイル(159キロ)を記録した。
「直球は上から投げるとボールが浮くので、肘の位置を低くしました。スライダーが直球の軌道から曲がるように、それだけをずっと磨いていました。1年目は相手チームに自分の情報がないので、ほぼ全てのアウトを直球とスライダーで取っていました」
斎藤が「これだな」と思った瞬間とは
斎藤は米国と日本の打者に「ポイントの違い」を感じていた。
メジャーの打者は投球を捉えるポイントが投手側で、日本人打者の方がポイントは捕手に近いとみていた。