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サッカー日本代表から消えた怪物「ケガして以降…」「なんで評価されへんねん」小倉隆史に平山相太、“堂安律が愛した天才パサー”の挫折 

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photograph byAFLO SPORT,Toshiya Kondo

posted2024/06/10 17:02

サッカー日本代表から消えた怪物「ケガして以降…」「なんで評価されへんねん」小倉隆史に平山相太、“堂安律が愛した天才パサー”の挫折<Number Web> photograph by AFLO SPORT,Toshiya Kondo

小倉隆史と平山相太。「怪物」と呼ばれながら、挫折を味わった元日本代表選手は多い

「あれ以降、軸足でタメが作れなくなった」

 再手術などを経た小倉が本格的に戦線復帰できたのは、負傷から2年半後の98年シーズンからだった。若き日の決定力は鳴りを潜め、クラブを転々とした。2003年のJ2ヴァンフォーレ甲府では久々の2ケタ得点をマークしたものの、その2シーズン後にスパイクを脱ぐことになった。

 小倉は引退後、古巣グランパスのスタッフや監督を経て、現在は三重県で地域社会人リーグを戦うFC.ISE-SHIMAで理事長と監督を兼務。故郷でのサッカー普及に奮闘している。

怪物・平山は潜在能力抜群ながらムラがあった

<名言2>
性格の問題でもあると思うんですけど、自分の弱さでもあるし、そこは反省点です。
(平山相太/NumberWeb 2018年11月30日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/832668

◇解説◇
 小倉の苦悩から約10年後、日本の泣き所とされるFWで再び“怪物”と称されたのが平山だ。選手権で2年連続得点王に輝き、飛び級でアテネ五輪最終予選に出場し、本戦メンバーにも招集された。さらには筑波大学時代にはオランダのヘラクレスに加入し、1年目の2005-06シーズンにいきなり8ゴールを挙げるなど、日本の得点源としての期待が大きく膨らんだ。

 しかし、結果的にこのシーズンが平山のキャリアハイとなった。

 ヘラクレスで指揮官交代によって序列が下がると2シーズン目が始まってほどなく退団し、FC東京に加入。ナビスコ杯決勝で優勝を決定づけるゴールや、A代表デビューとなった2010年アジア杯最終予選でいきなりハットトリックを決めるなど、ツボにハマった際の決定力は潜在能力の高さを見せた。しかし「ムラがある」とも指摘されたように——コンスタントにゴールを奪えず、リーグ戦2ケタ得点をマークしたことがなかったのも事実だった。

本田圭佑に比べた際の「自分の弱さ」とは

 平山が触れた「自分の弱さ」の正体とは、一体なんだったのか。

【次ページ】 本田圭佑に比べた際の「自分の弱さ」とは

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