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サッカー日本代表から消えた怪物「ケガして以降…」「なんで評価されへんねん」小倉隆史に平山相太、“堂安律が愛した天才パサー”の挫折
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byAFLO SPORT,Toshiya Kondo
posted2024/06/10 17:02
小倉隆史と平山相太。「怪物」と呼ばれながら、挫折を味わった元日本代表選手は多い
それは南アフリカW杯以降、日本代表のエースとなった同世代の本田圭佑らの「絶対に負けないという芯の強さ」と、自らを比べてのマインドセットだった。
2011年以降、平山は度重なる大ケガを負い、全盛期の輝きを取り戻すことなく2018年にスパイクを脱いだ。その年から仙台大学の学生として授業を受ける傍ら、サッカー部のコーチなどを務めた。
その後は母校・筑波大学のコーチを経て、2024年から仙台大サッカー部監督に就任し、さらには春から教員としても教鞭を振るっている。挫折の経験を指導者として生かそうと、育成年代で貢献しようとしている。
「なんで評価されへんねん」堂安を生かした天才パサー
<名言3>
なんで評価されへんねんって。今、思うと、なんであんな行動をしてしまったんやろ……と思います。
(市丸瑞希/NumberWeb 2024年3月12日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/860921
◇解説◇
小倉、平山はそれぞれA代表キャップを有している。しかし世代別代表で将来を嘱望されながら、A代表どころか所属クラブでも輝きを放てなかった選手も多い。
その1人が市丸である。
2017年のU-20W杯は、後の東京五輪メンバーである堂安律や久保建英、冨安健洋や板倉滉、さらには小川航基や中山雄太ら現日本代表のラージグループに入る面々が居並んでいた。その中でゲームメークを任されたのが市丸だった。所属するガンバ大阪で“ポスト遠藤保仁”とも見られていた視野とパス能力は、当時のG大阪U-23で戦友だった堂安と抜群の相性を誇っていた。
「当時は『俺が律を一番輝かせることができる存在だ』と思っていましたね」
その言葉通り、U-20W杯では堂安のゴールをアシストするなど活躍を見せたが……所属するガンバでは序列を上げられない日々だった。
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そのフラストレーションを紛らわせるために、市丸は「あんな行動」を取ってしまう。