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ジーコ70歳「ミトマ、クボ、カマダ、エンドウは素晴らしい」絶賛の一方で…06年W杯惨敗後「フィジカルが最大の課題」と語った真意
posted2024/06/11 17:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hayato Fujii/Mutsu Kawamori
ジーコは当初、監督としてのキャリアには全く興味を示さなかった。ところが、2002年ワールドカップ(W杯)終了後、日本サッカー協会から日本代表監督就任を要請されると、意外にも承諾した。
日本への恩返しのつもりで代表監督就任への要請を
――2002年W杯終了後、川淵三郎会長(キャプテン)の強い意向もあって日本代表監督へのオファーを受け、承諾します。
「日本に長く住むうち、日本が大好きになり、自分にとって第二の故郷となった。2002年の自国開催のW杯では日本代表を応援していた。ベスト16入りしたとはいえ、『もっと上に行けたはず』という思いが拭い切れなかった。そこで、日本への恩返しのつもりで日本代表監督就任への要請を引き受けた」
――兄エドゥーをテクニカル・アドバイザーに迎え、2004年に中国で行なわれたアジアカップで優勝します。準々決勝のヨルダン戦では延長戦の末のPK戦で、準決勝のバーレーン戦でも延長前半にようやく勝ち越すなど、苦しい試合が多かった。
「欧州でプレーする数人の主力が欠けていた状況で、選手たちが結束して苦しい試合を勝ち切ってくれた。大きな手応えを感じた大会だった」
――そして、2006年W杯アジア予選は2次予選の6試合、3次予選の6試合のほとんどが接戦でしたが、結果的に11勝1敗で突破します。
「アジアは広大で、国によって試合環境が大きく異なる。厳しい試合もあったが、チームは確かな技術と戦術、強い精神力を発揮して勝ち切ってくれた。予選を通じて、チームが大きく成長していった」
審判の判定にも泣かされた
――ただし、肝心の2006年W杯ではグループステージ(GS)最初のオーストラリア戦で先制しながら、後半39分以降に3失点。痛恨の逆転負けを喫します。