Jをめぐる冒険BACK NUMBER
平山相太が今思う、本田圭佑との差。
「絶対負けないという芯の強さ」
posted2018/11/30 11:30
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Shigeki Yamamoto
現役のレフェリーによる講義を受けられるとあって、仙台大学の大講堂は4分の3近くが埋まっていた。
授業が終わり、平山が西村さんに歩み寄っていく。実は、西村さんは平山の筑波大学時代のゲームを裁いたこともあるほど、長い付き合いなのだ。
吉井監督を交えてしばらく談笑したあと、教室を出たところで、クラスメイトが話しかけてくる。軽妙なやり取りに、平山がすっかり大学生に馴染んでいる様子が伝わってきた。
別棟にある会議室に場所を戻して、インタビュー後半戦がスタートした。
平山が2度目の大学生活にも慣れ始めた頃、ロシア・ワールドカップが開幕した。
本番2カ月前に監督が解任されるという非常事態。日本代表への期待は決して高くなかった。
W杯の本田や長友を見て。
しかし、前回のブラジル大会で惨敗したコロンビアを初戦で撃破。1勝1分1敗でグループステージを突破すると、のちに3位に輝くベルギーから一時は2点のリードを奪い、あと一歩のところまで追い詰めるのだ。
「直前に監督が代わって、崩壊してしまうかなって心配していたんですけど、崩れるどころかより一層、結束しているのがうかがえた。
ボールを動かして、人も動いて、日本の目指すべきサッカーの形を見せてくれたと思います」
U-20日本代表でチームメイトだった本田圭佑や、FC東京の同僚だった長友佑都は、平山のひとつ下、いわゆる北京五輪世代。
彼らにとって3度目のワールドカップは、前回大会のリベンジの場であり、集大成だった。
「それぞれ年齢とともにやる仕事が変わってきて、ふたりとも自分に与えられた仕事を全うして、すごく良かったなって。普通に、応援していました」
本田と長友が3度もワールドカップに出場したのに対し、かつて世代のトップランナーだった平山はついに、ワールドカップの地を踏めなかった。
自分もあの場所にいたかったという想いは芽生えなかったのか。
あるいは、日本代表やワールドカップへの夢が、苦しいリハビリの時期を乗り越える糧になったのではないか。