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サッカー日本代表から消えた怪物「ケガして以降…」「なんで評価されへんねん」小倉隆史に平山相太、“堂安律が愛した天才パサー”の挫折
posted2024/06/10 17:02
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
AFLO SPORT,Toshiya Kondo
<名言1>
グググッと踏ん張って長く足に乗せてたシュートが、打てなくなった。
(小倉隆史/Number995号 2020年1月17日発売)
◇解説◇
サッカー選手には、ケガがつきものだ。例えば小野伸二は1999年のシドニー五輪アジア予選で相手選手のハードタックルを浴び、ヒザに選手生命を奪いかねない大ケガを負った。それでも天才的なテクニックは失われず、2023年まで現役生活を送ったことは驚嘆に値するのだが。
小野のような存在がいる一方で、利き足ではない足のケガによってキャリアが大きく暗転してしまった選手がいる。
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レフティーモンスターと呼ばれた小倉である。
小倉は左足の強烈なシュートを武器に全国高校サッカー選手権(以下、選手権)で大活躍し、四日市中央工業を日本一に導いた。さらには名古屋グランパスエイト加入後すぐに“留学”という形でオランダのエクセルシオールに所属し、リーグ戦で15ゴールを奪って得点王争いを繰り広げた。
2020年代には珍しくなくなった「10代~20代前半で即ヨーロッパ挑戦」を30年前に成功させた先駆者で、名古屋復帰後も95年度の天皇杯制覇に大きく貢献した。そして、28年ぶりの五輪出場を狙っていた世代別日本代表でも、大エースとなるはずだった。
レフティーモンスターを襲った“軸足のヒザの大ケガ”
そんな小倉が悲劇に襲われたのは96年のこと。五輪最終予選直前の合宿、トレーニング中に右足後十字靱帯を断裂してしまったのだ。
大一番の最終予選どころか出場権を得たとしても五輪本番にも出られないほどの大ケガ。その事実が小倉の心に大きなダメージを与えたが……プレーでのストロングポイントをも失ってしまった。
小倉はこのようにも回想している。