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《大谷翔平も「一番の強み」と称賛》ドジャースのマイナー組織とは?「衝撃が大きすぎて」「練習初日にとんでもないところに来たなと」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byNanae Suzuki
posted2024/04/25 17:05
ドジャースのキャンプ地であり、ルーキークラスの選手がプレーする「アリゾナ・コンプレックスリーグ・ドジャース」の本拠地でもあるキャメルバックランチ
「入団が決まってキャンプに行くまでのメニューを渡されました。どれだけのランニングをして、キャッチボールも何%の強度で何球を投げるのか、細かく指示されていて。アメリカに行ってからも、基本的にやらないといけないトレーニングは決まっていました」
シーズンに入ってからも、登板間の過ごし方は決まっていた。
「僕はエースのクレイトン・カーショウ投手ではなく、テッド・リリー投手やホワイトソックスのマーク・バーリー投手など、低めにコントロールして投げるタイプの投手を参考にしました。マイナーで大事なのは質問力です。ボールの動かし方やフォーシームの投げ方など、コーチにたくさん質問しました。ラモン・マルティネスさんらドジャースのレジェンドの方もたくさん来ていて、いろんなお話を聞きました」
3年目のスプリングトレーニングの最中に彼の挑戦は終わりを告げたが、ドジャースのユニフォームを着た経験は、明大で森下暢仁(広島)ら数々の投手を育てる上で役に立っている。
「ドジャースで学んだのは育成段階で『慌てない』ということ。試合に向けて一夜漬けで準備するのではなく、計画的に準備することを勉強しました。今もリーグ戦のスケジュールに合わせて、選手が計画的にトレーニングできるように早めにスケジュールを伝えています。その上でどう準備するかはそれぞれが考えることなので」
ダルビッシュ有から言われた 「間違いなく挑戦した方がいい」
今年2月、アリゾナ州のドジャースのキャンプ地「キャメルバックランチ」は大型契約を結んだ2人の日本人メジャーリーガーによって喧騒に包まれていた。その様子をニュースで見た北方悠誠は、かつて自分がそこにいたことを思い出した。
「あー、ここ、俺も歩いたわって」
親会社がDeNAに変わる直前の'11年ドラフトで、横浜ベイスターズから1位指名を受けた北方は紆余曲折を経て、BCリーグ・栃木でプレーしていた'19年にドジャースと契約した。
佐賀県の唐津商高で、3年夏に甲子園出場。そこで豪速球を披露したことでプロのスカウトの評価を得て入団したものの、たった3年で戦力外通告を受けた。ソフトバンクにも育成選手として1年間在籍したが、そのあとは独立リーグを転々。日本のプロ野球で日の目を見ることはなかった。
原因はコントロール。豪速球を投げてもストライクが入らない。そのことを指摘され続けた北方のピッチングは小さくなり、やがて「イップスではないか」と言われるほどのどん底を味わった。
そんな選手が突如、ドジャースと契約したのだ。
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