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甲子園の風BACK NUMBER
「長谷川、歌え!」上野駅のホームで監督が無茶ぶり…KKコンビと名勝負を演じた“第一次金農旋風”前夜「周辺のでけえのに目をつけて…」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byYoshihiro Ando
posted2024/03/31 06:00
40年前に“第一次金農旋風”を巻き起こした嶋崎久美元監督。昨年11月には「マスターズ甲子園」でふたたび聖地の土を踏んだ
上野駅のホームで度胸試し「長谷川、歌え!」
そして、長く厳しい冬がやってきた。
金足農の冬季練習と言えば、雪深いところでひたすら体力トレーニングに励む「田沢湖合宿」が有名だが、当時はまだスタートしていない。ただ、ボールは一切使わず、「ひたすら疲れる練習に取り組んだ」と長谷川は苦笑する。とにかく走る。それから腕立て伏せ、腹筋……。
「厳しさの向こうに何かがある、という考え方。苦しみゃいい、疲れりゃいい。そんな感じだった」
監督の嶋崎は、第一に体力、次に精神力、そして技術という考え方だった。
「まず土台になる体力。徹底的に昭和のやり方で頑丈な体をつくる。その過程で精神力を養い、その先に初めて技術を身につけていく」と懐かしむ。
長い冬が明ける3月下旬の春休みには、関東遠征に出かけた。秋田より早く暖かくなる千葉と埼玉で練習試合を組んだ。
嶋崎監督はアイデアマンで、突然、突拍子もない指示を出す。
遠征を終えて帰路につく上野駅のホーム。
「長谷川、歌え!」
突然、そう言われた。
歌わないわけにはいかない。
千昌夫の大ヒット曲「北国の春」を、大きな声で熱唱した。居合わせた人びとの視線がつらく、恥ずかしかった。
別の機会で監督から指名された水沢は、ニック・ニューサの「サチコ」を歌った。水沢の母と同じ名前のヒット曲だった。
「水沢は甲子園のベンチ前でも歌った。度胸試しです。体力の次に大切にする精神力ですね。嶋崎監督のあの手、この手で鍛えられました」
体力、度胸、そして経験。2年夏は秋田大会を圧倒的な強さで勝ち進んで決勝へ。秋田に0-3で敗れたが、水沢―長谷川の代は貴重な経験を重ねた。
いよいよ自分たちの代になり、金足農は秋季秋田県大会を制して東北大会へ。ここでも力強く勝ち上がった。決勝は延長16回の末、大船渡(岩手)に3-4で惜敗したが、翌年春の選抜大会出場に大きく近づいた。
1984年2月1日、第56回選抜高校野球大会の選考委員会が開催され、金足農の甲子園初出場が決まった。
その日から、選手らは同校内の宿泊施設で長期合宿に入った。
「不祥事があってはいけないと、嶋崎監督が僕らを軟禁したんです(笑)」
主将を務めた長谷川が苦笑いで懐かしむ。夜中に起こされ、大部屋に集められたこともあった。
「それぞれのポジションで守っている構えをしながら瞑想する。精神統一だと言われました。いろいろ、ありました」
そうして迎えた初の甲子園。金足農の選手たちは大舞台で躍動した。
<続く>