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「なんなんだ、こいつら」対戦相手が衝撃を受けたPL学園のKKコンビ「清原もすごかったけど、桑田の打撃が特にすごかった」「落ちてこない飛球は…」
posted2023/12/12 11:01
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
Katsuro Okazawa/AFLO
阿部珠樹氏のスポーツノンフィクション傑作選『神様は返事を書かない』(文藝春秋)より「KK、戦慄の記憶」の項を紹介します。<全3回の2回目/第1回、第3回へ>
PL学園は、特別なチームに
翌'84年の大会は、前年の池田のポジションにPLが腰を下ろしていた。春の選抜大会は決勝で岩倉高校に敗れてはいた。勝者の岩倉はみごとだったが、大会5試合で清原は3本、桑田は2本の本塁打を打ち、投げても桑田は決勝で14個の三振を奪っていた。実力は群を抜き、負けさえも野球のむずかしさを示す教材になるような、特別なチームになっていた。
だが、2度目の夏は油断ならない相手との顔合わせがスタートだった。愛知代表の享栄高校は東邦、愛工大名電、中京などと覇を競うレベルの高い愛知県の名門で、特にこの年は強打が注目を集めていた。
「藤王二世」
それが安田秀之につけられた呼び名だった。藤王康晴は前の年の選抜で3本の本塁打を放ち、享栄のベスト8進出の原動力になっていた。超高校級の打力と評価され、ドラフトでは地元ドラゴンズに1位で指名されて入団し、大きな注目を集めていた。その藤王に並ぶような素質の持ち主というのが、2年生の安田に対する評価だった。PLに清原がいるなら、享栄には安田がいる。安田なら桑田を打ち砕くかもしれない。
「高校では通算で47本、本塁打を打ちました。藤王さんが49本だったから、数だけなら近かったですね」
安田は現在、ドラゴンズでスコアラーを務めている。
「藤王さんたちの代が終わって新チームになった1年の秋からぼくは4番を任されました。しっかり当たれば、かなり飛んでいくという自信はありましたね。夏の大会は県予選の決勝で東邦と当たり、接戦になりました。4対3で勝ったんですが、その試合で得点に 絡む活躍ができて」
甲子園に乗り込んだときの安田は、口には出さなかったが相当な自信を秘めていた。抽選で1回戦がPLと決まり、喜ぶ者はいなかったが、うつむく者もいなかったという。
「勝てば勢いがついてぐんと上がっていける。そう思っていました」
桑田、清原との対戦経験はなかったが、テレビでは何度も見ていた。テレビで見る限り、桑田は高校生としては、球も速いし、コントロールもいいが、まとまっている分、打てない相手ではないように思われた。
「ぼくは清原君より少しだけ背が高いんです」
高校生らしからぬパワーといわれる清原よりも体格では上回っている。それも安田の支えになっていた。
「なんなんだ、こいつら。そう思いました」
だが、安田と享栄のひそかな自信は、甲子園の現場に来るとたちまち場外に弾き飛ばされてしまった。まず最初に衝撃を受けたのはエースの村田忍だった。清原や安田よりも1歳上の3年生で、ストレートの球速はさほどでもないが、大きな落差のあるカーブとスライダー、シュートの揺さぶりは定評があった。その村田は試合前の練習で、見てはいけないものを見てしまう。