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「長谷川、歌え!」上野駅のホームで監督が無茶ぶり…KKコンビと名勝負を演じた“第一次金農旋風”前夜「周辺のでけえのに目をつけて…」 

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安藤嘉浩

安藤嘉浩Yoshihiro Ando

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posted2024/03/31 06:00

「長谷川、歌え!」上野駅のホームで監督が無茶ぶり…KKコンビと名勝負を演じた“第一次金農旋風”前夜「周辺のでけえのに目をつけて…」<Number Web> photograph by Yoshihiro Ando

40年前に“第一次金農旋風”を巻き起こした嶋崎久美元監督。昨年11月には「マスターズ甲子園」でふたたび聖地の土を踏んだ

「周辺のでけえのに目をつけ、頑丈なやつを集めて…」

 監督の嶋崎久美は当時33歳。若き熱血漢も「自分は甲子園に行けないのかもしれない」と弱気になったという。銀行員をやめ、母校の監督に就任して10年目。OB会にも励まされ、もう一度、前を向いた。

 金足農は秋田市の北西部にあり、隣接する南秋田郡など周辺の農家の子息が通ってくる。第100回大会(2018年夏)に準優勝投手となった吉田輝星(現・オリックス)も、南秋田郡天王町(現・潟上市)の出身だ。先述の小野は金足農の近くにある秋田北中に通っていた。「周辺の郡部から上がってくるし、市内の生徒もいるけど、市内中心部から下っては来ない」と関係者は自嘲気味に語る。

 嶋崎も「最初のうちは無名な選手ばかりでした。中学校では補欠だった選手も多かった」と振り返る。それでも、猛練習でたたき上げた選手が徐々に成績を残すようになり、甲子園に手が届きそうになっていた。

 夏の秋田大会決勝で惜敗した1981年は、小野の出身中学である秋田北中の3年生に、水沢博文という好投手がいた。父も金足農の野球部OB。父の母校に進学し、親子の夢でもある甲子園出場を果たそうと決めていた。

 中学2年のときにエースとして全県大会に出場した水沢は、県内では知られた存在だった。

「水沢は、うちに来るぜ」

 のちに水沢とバッテリーを組む長谷川寿は、嶋崎からそう声をかけられたと記憶する。

「八郎潟町(南秋田郡)からも、いいショートが来る」。1番を打つことになる工藤浩孝だ。

「ほかにも水沢が行くならと、いいのがいっぱい入るぜ」

 長谷川に言わせれば、「周辺のでけえのに目をつけ、頑丈なやつを集めて鍛え上げるのが嶋崎監督のやり方」だった。

 身長180センチの長谷川は、自身が中学3年の年に甲子園に春夏とも初出場して2勝ずつを挙げた秋田経大付の「縦じまのユニホームに憧れがあった」という。伝統校の秋田商も考えていたが、嶋崎の誘いを受けて「じゃあ、金農にいこうか」と決断した。

 水沢を軸に3年計画で、もう一度甲子園を目指す――。嶋崎率いる金足農の挑戦が始まった。

 長谷川の記憶では、入学した時、3年生部員は9人に満たず、2年生も15人ほど。水沢も長谷川も、入学早々に試合で起用された。夏の大会も水沢はセンターを守り、長谷川も二桁背番号ながら先発マスクをかぶった。準々決勝で秋田商に0-3で敗れたが、秋からはレギュラーの半分ほどが1年生になった。

【次ページ】 上野駅のホームで度胸試し「長谷川、歌え!」

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