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甲子園の風BACK NUMBER
「長谷川、歌え!」上野駅のホームで監督が無茶ぶり…KKコンビと名勝負を演じた“第一次金農旋風”前夜「周辺のでけえのに目をつけて…」
posted2024/03/31 06:00
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph by
Yoshihiro Ando
知られざる「第一次金農旋風」前史
今からちょうど40年前の甲子園で、まばゆいばかりの光を放ったチームがあった。秋田県立金足農業高校。第100回記念大会(2018年)で「金農旋風」を巻き起こす34年も前のことである。
高校野球の主役が「やまびこ打線」の池田(徳島)から「KKコンビ」のPL学園(大阪)に移って迎えた1984年の春、金足農は第56回選抜高校野球大会で初めて甲子園の土を踏み、1回戦で甲子園初勝利もあげた。
さらに同年夏の第66回全国高校野球選手権大会にも出場すると、秋田県勢初となる1大会4勝をあげ、準決勝で「KKコンビ」のPL学園と対戦。8回裏1死まで2-1でリードを奪う大接戦を演じた。
どんな名勝負や快進撃にも、前史があるものだ。金足農にとっては、その3年前の1981年がターニングポイントになった。
全国的には、2年生になった早稲田実(東東京)の荒木大輔が、3回戦で金村義明の報徳学園(兵庫)に敗れた第63回全国高校野球選手権大会があった夏だ。名古屋電気(現・愛工大名電)の工藤公康が2回戦で無安打無得点試合を達成した大会でもあった。
この大会に秋田から初出場を果たしたのが秋田経大付(現・明桜)だった。初出場とは言え、卒業後に住友金属を経てプロ野球の大洋(現・DeNA)に入団する右腕の松本豊を擁して、春夏連続出場で両大会とも甲子園で2勝している。
その秋田経大付に秋田大会決勝で敗れたのが金足農だった。こちらも右横手投げの好投手、桜庭広喜を擁して対抗し、8回を終わって1-1という接戦に持ち込んだ。しかし、9回表に1点を勝ち越されて涙をのんでいる。
実は1学年上の代も、金足農は秋の県大会で決勝まで勝ち進んでいる。西武、中日で先発投手として活躍した小野和幸を擁して勝ち進んだが、やはり速球派投手の高山郁夫(のちにオリックスの投手コーチとして山本由伸らを育成)がいる秋田商に敗れた。