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熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
森保ジャパンは再び屈辱、ジーコとザック体制でアジア杯優勝したが…「W杯成績とほぼ直結しない」からこそ問われる“次の一手”とは
posted2024/02/18 11:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Takuya Sugiyama/Kiichi Matsumoto
日本代表がアジアカップの準々決勝で敗退した大きな要因の一つに、「熱量の差」を挙げる声がある。
「イラクやイランには、日本に勝って泣いて喜んでいる選手がいた。一方、日本は負けて悔し泣きする選手はいなかった」という言及がある。要するに「日本選手は死に物狂いでプレーしてはいなかった」という批判だろう。
その一方で「現在の日本代表のメンバーの大半は、欧州でプレーしている。欧州シーズンの真っ最中で、自分のチームの成績や自分のチーム内での立場が気になるのは当然だ」、「日本は2022年ワールドカップ(W杯)で優勝経験国のドイツ、スペインがいるグループを首位で突破し、アジア勢で初めて2大会連続でラウンド16へ勝ち上がった。自身も欧州の高いレベルでプレーする選手たちが『何が何でもアジア杯で優勝する』というモチベーションを持ちにくいのは確か」という意見もある。
初優勝の92年アジア杯から成績を比較してみる
この「熱量の差」の議論はさておき「2050年までにW杯優勝」を目標に掲げる日本にとって、そしてアジア各国にとって「自国代表を強化するうえで、アジア杯はどれほど重要な大会なのか」を検証してみたい。
まず、1992年以降のアジア杯における日本の成績と、その後に行なわれたW杯の成績を比べてみよう。
・92年アジア杯(自国開催):優勝
・94年W杯:アジア予選敗退
・96年アジア杯:ベスト8
・98年W杯:初のアジア予選突破→本大会グループステージ(GS)3敗で敗退=31位
・00年アジア杯:優勝
・02年W杯(自国開催):GS2勝1分で初の決勝T進出=9位
ジーコ時代には3度目の優勝を果たしたが
日本は92年、ハンス・オフト監督体制で自国開催のアジア杯で初優勝を飾ったが、94年W杯はアジア予選で敗退(ドーハの悲劇)。加茂周監督体制の96年アジア杯は準々決勝で敗退。しかし98年W杯アジア予選では加茂監督更迭→岡田武史監督就任の波乱がありながらも、悲願のW杯出場を達成(ジョホールバルの奇跡)。フィリップ・トルシエ監督下での00年アジア杯では優勝(大会MVPは現日本代表コーチのMF名波浩)して、02年W杯での好成績につなげた。