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野村克也と落合博満「交流戦のたびに個室にこもって…」4人の証言者が語る“ID野球”と“オレ流”「なぜ2人はウマがあったのか?」
posted2024/02/11 11:05
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Sankei Shimbun
目的は同じでありながら、手段は異なる――。野村克也と落合博満の2人と数奇な縁で出会った野球人たちが、いくつもの観点から異質なリーダーの組織論を語った。
野村克也氏の命日に合わせ、これまで有料公開されていたSports Graphic Number1058・1059号(2022年9月8日発売)『「オレ流」と「ID野球」の共通点と相違点』を特別に無料公開します【全2回の後編/前編から読む】。
※証言者:前編=橋上秀樹・川崎憲次郎、後編=井端弘和・秦真司
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※証言者:前編=橋上秀樹・川崎憲次郎、後編=井端弘和・秦真司
当時、プロ7年目の井端弘和は2004年の開幕前夜を川崎憲次郎と過ごしていた。
「自宅が近かったので、川崎さんの奥さんが作った赤飯と鯛の尾頭をいただきました。このとき川崎さんが『時間ある?』と言うので近所のコメダ珈琲に行き、そこで翌日の開幕先発のことを知りました。ビックリして『こんなところにいる場合じゃないですよ』と。川崎さんの足を引っ張るわけにはいかないから、あの開幕戦は人生で一番緊張しましたね。でも、あの試合を逆転で勝てたことは、自信になりました」
落合中日を支えた名手とノムさんの不思議な縁
落合政権を支えた「アライバ」の一翼を担った井端と野村には、浅からぬ因縁がある。ヤクルト監督就任前の野村が港東ムースというシニアチームの指導をしていた頃、相手チームの逸材に声をかけ、息子の克則が通っていた堀越高校への進学を薦めた。その少年こそ井端だった。
「プロ入り以降も、折に触れてあいさつに行っていました。野村さんが楽天監督に就任する前だから、03年か、04年のことだったと思うんですけど、野村さんから“ある言葉”を贈られました」
人と違う感性を持て――。
プロで実績も積み、30歳を目前に控えていた頃のことだ。
「野村さんの言う“人と違う感性”は、どうすれば持てるのか? それを考えていた頃、落合さんが中日の監督となりました。新しい監督の指示をすぐ行動に移せるように、頭を柔らかくしておこう。野村さんの言葉もあって、そんなことを意識していた時期でもありました」