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野村克也と落合博満「交流戦のたびに個室にこもって…」4人の証言者が語る“ID野球”と“オレ流”「なぜ2人はウマがあったのか?」 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/02/11 11:05

野村克也と落合博満「交流戦のたびに個室にこもって…」4人の証言者が語る“ID野球”と“オレ流”「なぜ2人はウマがあったのか?」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

言葉をかわす野村克也(右)と落合博満

 2番打者として繋ぎ役に徹していた井端の真骨頂はチームバッティングであり、進塁打となる「右打ち」にあった。しかし、落合は「右打ちのサイン以外は右打ちするな」「チャンスでは4番のつもりで打て」と指示した。敗戦を喫した試合後、「今日の収穫は井端のダブルプレーだ」と落合が発言したこともあった。

「あのときは追い込まれてから引っ張ってゲッツーでした。それまでは追い込まれたら、何とかしてランナーを進めようと右打ちを心がけていました。でも、落合さんには『今回はたまたまサードゴロになったけど、あれが三塁線、レフト線に飛んだら相手もイヤだろう。お前が今までやってきたことは相手からしたら何も怖くないんだ』と言われました。自分の中で“人と違う感性”がひとつ増えたように感じました」

 また、試合中には落合と「個別ミーティングも重ねた」と井端は振り返る。

「落合さんはまったくミーティングをしない監督でした。でも、試合中のベンチで、サインの意図や目の前のプレーについて質問すると、短いながらも2、3回ほどの言葉のキャッチボールがありました。試合後よりも、試合中のベンチで言われた方が受け入れやすいし、次の打席にも生きますから、僕はあれが良かったと思いますね」

 落合の下で8年間過ごし、その中心となった井端は「落合野球」をこう評する。

「現役時代の“オレ流”のイメージを上手に使っていたと思います。野球そのものは極めてオーソドックスなのに、マスコミも相手チームも“何を考えているかわからない”と勝手に言ってくれる。僕らは普通にやっているだけですよ」

落合中日から“入閣オファー”を受けた秦真司

 落合とは何も接点を持たない秦真司が一軍捕手コーチに就任したのは落合政権2年目となる2005年のこと。当時、一軍野手総合チーフコーチで法政大学の先輩である高代延博の推薦を受けての入閣だった。

「前年6月に電話をもらってコーチ就任の依頼を受けました。落合さんからは『優勝するためにやってくれ。捕手の起用に関してはすべて任せるから』と言われました」

 それまで「対戦相手」としてマスク越しに落合と対峙したことはあった。しかし、接点はその程度だ。いくら高代の推薦があったとはいえ、どうして落合は秦を頼ったのか?

【次ページ】 「中日色を一掃する」だけじゃなかった招聘の理由

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