甲子園の風BACK NUMBER
江川卓17歳を撃破“まるでマンガの名将”が実在した…「きみ、甲子園に行くよ」弱小校監督に予言ズバリ“なぜ見抜けたのか?”迫田穆成の伝説
text by
井上幸太Kota Inoue
photograph byKazuhito Yamada
posted2024/01/27 11:01
「怪物」江川卓17歳を甲子園で攻略した名将とは(写真は巨人時代)
受け継がれる野球観…「あの名将の登場」
自分のどこに“甲子園”を見出したのか。山崎は最初、全くわからなかった。だが、指導者としてキャリアを重ねたことで、「勝つ人」がおぼろげながら理解できた。その見立てを確信させる出来事が、07年にあった。
南陽工のOBから「練習試合をしてもらえないか」と懇願された。何でも、大学時代の先輩が指導者になったが、部員数はギリギリで対戦相手を探すのに苦労している、と。申し出を受け入れ、迎えた練習試合当日、30代前半の青年が現れた。
「今はまだこんな状況ですが、甲子園に行きたいと思っています」
真っすぐに語る青年に対し、反射的に返答した。
「あなたは絶対チームを強くする。甲子園に行くよ」
青年は山崎の予言通り、廃部寸前だった野球部を鍛え上げ、10年あまりで甲子園初出場を叶えた。それから5年後の2022年、ついには下関国際を甲子園の決勝にまで導いた、坂原秀尚である。
坂原から発せられる「勝ちたい」思いは、甲子園に出る人間のそれと同じだった。同時に、あの日の迫田氏は、自分から同じものを感じ取ったのだと腑に落ちた。
山崎は1月から、迫田氏の娘から譲り受けた生前の写真を監督室の机に置いている。笑顔で額に収まる恩師を見やり、山崎が回顧する。
「迫田監督は、夢を一つ一つ現実にしていく名人だったんです。夢を夢で終わらせない人、生粋の“夢追い人”でした」
「ワシが言うたらほんとになるけんね」
じゃんけんやゴルフで負けても顔をしかめる生来の負けず嫌い。誰よりも「勝ちたい」と思い、勝つための理想形を描き、実現させてきた。
訃報を聞いたとき、私は迫田氏が竹原の監督となって3年目の2021年秋の電話を思い返した。その電話で私は、迫田氏に「次に甲子園に出ると思う指導者はいますか?」と投げかけた。
少し考えた後、岡山のある若手指導者の名前を挙げた。
「最近、目が変わってきたんです。面白いと思いますよ」
もう少し時間はかかるかもしれないが、遠くない内に。そんなニュアンスを感じる語り口だった。詳しい理由も聞きたかったが、向こうからもらった電話で長々話すのも気が引け、電話を終えた。
その慧眼で後身のどんな未来を見通したのか。自身は指導者として、最後にどんな夢を描いていたのか。
もっと聞きたかった、聞いておけばよかったという後悔と同時に、下関球場の手洗い場で、戸惑う山崎に別れ際に言ったという挨拶が頭をかすめる。
「ワシが言うたらほんとになるけんね、じゃあね」
もう一つの“予言”を聞かせてもらった者として、見出した理由を考え続けていきたいと思う。