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江川卓17歳を撃破“まるでマンガの名将”が実在した…「きみ、甲子園に行くよ」弱小校監督に予言ズバリ“なぜ見抜けたのか?”迫田穆成の伝説

posted2024/01/27 11:01

 
江川卓17歳を撃破“まるでマンガの名将”が実在した…「きみ、甲子園に行くよ」弱小校監督に予言ズバリ“なぜ見抜けたのか?”迫田穆成の伝説<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

「怪物」江川卓17歳を甲子園で攻略した名将とは(写真は巨人時代)

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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Kazuhito Yamada

 2023年12月1日、広島・竹原高校の監督を務めていた迫田穆成(さこだ・よしあき)氏が亡くなった。

 名門・広島商の主将として、1957年夏の甲子園で優勝。その後、67年秋から母校を率い、春夏計6度の甲子園出場、73年夏は同校5度目の全国制覇を達成するなど、中国地方が誇る名将であった。

 迫田氏を語る上で欠かせないのが、73年春のセンバツでの一戦。「怪物」江川卓と対した準決勝だ。

あの「怪物」をいかに倒したか

 大会前から「江川卓」の名が全国区になるほど、実力は抜きん出ていた。

 だが迫田氏は新チーム発足間もないころから「怪物に甲子園で勝つ」と目標を設定。映像も簡単に手に入らない時代だ。人伝いに聞く断片的な情報から怪物の面影を描くしかなかったが、選手たちは奮い立ち、センバツ準決勝で江川擁する作新学院と顔を合わせる。

 念願の対決が始まると、江川を前に迫田氏を含め、全員が押し黙った。怪物が放つ速球に圧倒されたのである。

 だが、「打倒・江川」に燃えてきた選手たちは、3回が終わるころに「勝つぞ」との声を上げる。機を逃すまいと、迫田氏が叫ぶ。

「今日、ワシらが伝説を作るんじゃ!」

 指揮官の咆哮を意気に感じた選手たちは、怪物の快速球に食らいつく。相手のミスにも助けられ、2-1で競り勝った。

 今から約4年前、ある雑誌で迫田氏の監督人生を取材した。その際、この試合の山場について質問したときの一幕が忘れられない。

 同点で迎えた8回、先頭で出塁した主将の金光興二が二盗を成功させた。さらに2死一、二塁から、ダブルスチールを敢行。捕手の三塁送球が逸れ、決勝点を生み出す……というプレーで、この采配の意図を尋ねたときだった。

「ベンチで、二塁にいる金光と目が合いましてね。『もう一つ走れる』というような眼をしとったんです」

指導者を見抜く…卓越した「目」

 40年以上前の試合を、昨日のことのように述懐する姿に驚かされた。幾度も取材を受けて状況が整理されていたであろう作新学院戦に限らず、迫田氏の野球の記憶は常に鮮明だった。自身の心境、選手の表情、観衆の反応。味のある広島弁で紡がれる言葉は、過ぎた試合を鮮やかに蘇らせた。

【次ページ】 翌年は…「おめでとう! 決まりです」

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