「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「左足が…もうダメだ」“靭帯断裂”がヤクルト初優勝の伏線に? あの名捕手から開幕スタメンを奪った八重樫幸雄の告白「僕が出てたら優勝してない」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/01/19 11:01
「打てる捕手」として長くヤクルトを支えた八重樫幸雄。1978年には開幕スタメンに抜擢されたが、シーズン序盤に靭帯断裂で戦線を離脱した
「内側側副靭帯断裂でした。立とうと思っても立てない。もう左足が変な方向に曲がってしまっているから。その瞬間に、“もうダメだ”と悟りました。もちろん、そのまま即入院。2カ月間、ギプス生活となり、シーズンを棒に振ることになりました……」
「僕がケガをしたから、チームは優勝できた」
結局、9月末に復帰するまで、およそ5カ月間も戦列を離れることとなる。しかし、八重樫の表情からは、せっかくのチャンスをフイにしてしまった悔しさは微塵も感じられない。その理由を問うと、意外な言葉を口にした。
「もしも、ケガをしなくて自分が試合に出続けていたらヤクルトは優勝しなかったと思います。圧倒的に僕には一軍での経験が少なかったですから。だから、“逆にケガをしてよかったな”と思っています」
その口調は決して負け惜しみでも強がりでもなく、偽らざる本心のように思えた。シーズン当初から、広岡監督、森コーチから期待されていたものの、不測の事態により出場機会を奪われた。その結果、ライバルが活躍し、チームは初めての日本一に輝いた。忸怩たる思いがなかったはずがない。それでも八重樫は「それでよかった」と口にした。
「今から振り返ってみても、この1978年という一年にはいろいろな思い出があります。広岡さんからもいろいろ教わりましたし、森さんからも多くのことを学びました。本当に印象深いシーズンです」
八重樫にとって忘れられない78年シーズンを改めて振り返っていきたい。そのキーパーソンとなるのは、広岡達朗が三顧の礼で迎えた森である。
<八重樫幸雄編第2回/連載第18回に続く>