「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「広岡達朗にビールを勧められたリリーフエース」井原慎一朗がいま明かす広岡ヤクルトの“常軌を逸した猛練習”「メニューを見るのが怖かった…」
posted2023/09/29 17:29
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
KYODO
あの広岡達朗からビールを勧められた男
1978年7月21日のことである。この日、広岡達朗は広島にいた。翌日には広島市民球場でオールスターゲーム第1戦が行われる。前年にヤクルトスワローズを創設初となる2位に導いた広岡は、セ・リーグのコーチとしてオールスター出場が決まっていた。広岡の目の前には、緊張した面持ちの鈴木康二朗、そして井原慎一朗の姿があった。
78年序盤、球団創設29年目となるヤクルトナインは悲願の初優勝に向けて躍動していた。5月には鈴木が、6月には井原が月間MVPを獲得。鈴木はファン投票で、そして井原はセ・リーグ、巨人・長嶋茂雄監督推薦でオールスター出場を決めていた。井原が述懐する。
「この年のオールスターゲームは初戦が広島で行われました。僕らは前日に広島入りしたんですけど、広岡さんから食事に誘われました。(広島県呉市出身の)広岡さんのなじみの中華料理店で夕食会を開いてもらえることになったんです。で、僕が“鈴木さん、ビール出るかな?”って尋ねると、鈴木さんが“出ないんじゃないか”って言うんで、“どうする、ちょっと飲んでから行こうか?”って(笑)」
鈴木と井原は普段から仲がよく、「ヤクルトの弥次さん、喜多さん」と呼ばれていたという。2人はそろって、大の酒好きでもあった。広岡に悟られぬよう平静を装いつつ、ほろ酔い加減で店に着いて鈴木も井原も驚いた。井原が続ける。
「広岡さんのことだから、“ビールなんか飲めない”と思っていたのに、店に着くなり、広岡さん自ら“さぁ、飲め”と言ってどんどんビールが出てくる。僕も鈴木さんも驚いたけど、調子に乗ってばかばか飲んだ(笑)」