「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

「ガソリンスタンドで打撃特訓、合気道の教えも…」広岡達朗の“まるでマンガ”な指導は有効なのか? 広岡ヤクルトの申し子・水谷新太郎の証言

posted2024/02/21 17:02

 
「ガソリンスタンドで打撃特訓、合気道の教えも…」広岡達朗の“まるでマンガ”な指導は有効なのか? 広岡ヤクルトの申し子・水谷新太郎の証言<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2013年のヤクルト浦添キャンプで山田哲人を指導する広岡達朗。教え子のひとりである水谷新太郎が、知られざる広岡の手腕について証言した

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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1970年代、ヤクルトスワローズ監督時代の広岡達朗に目をかけられた水谷新太郎は、指揮官直々の熱心な指導によって次第に頭角を現していく。ドラフト9位で入団した「足の速さだけが取り柄の選手」を、広岡はいかにしてショートのレギュラーに育て上げたのか。中野坂上のガソリンスタンドでの秘密特訓や、合気道の達人による教えなど、まるでフィクションのような“指導者・広岡達朗の流儀”に迫った。(連載第22回・水谷新太郎編の#2/#1#3#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時

中野坂上のガソリンスタンドで行われた秘密特訓

 1978年、ヤクルトスワローズ初優勝決定のダブルプレーに関わった水谷新太郎は、広岡達朗から大きな期待をかけられていた。その指導はグラウンドや宿舎内のみならず、さまざまな場所での「課外活動」も含まれていた。東京・中野坂上のガソリンスタンドで行われた指導では、広岡が師と仰ぐ新田恭一の姿があった。

「中野坂上にあったガソリンスタンドにサンドバッグが吊るされた練習場がありました。そこの社長と広岡さんが知り合いだったそうなんですけど、何度か呼ばれて広岡さん、新田さんとともにスイング練習を行いました」

 広岡が西武ライオンズ監督だった82年に出版された『巨人を超えた男 広岡達朗』(越智正典・恒文社)には「東京・青梅街道、中野坂上のガソリンスタンドの隣の整備工場」が登場する。

《ここは昔の浅田銀行跡。当主はいまは六代目。五代目が野球好きで、五重塔があった敷地の奥には、天知俊一さんや藤田省三さんも身を寄せていたし、戦前の法政大学野球部の練習場があった新井薬師からもそう遠くないことから、多くの野球人が集まっていた。いまも新田恭一さんや関根潤三さんが、ときどきやってくる。》

 広岡が師事した新田恭一は、1898年の生まれなので、1932年生まれの広岡とは34もの年齢差がある。野球における動作解析を行った初めての人物として有名で、新田の教え子の筆頭が、50年に161打点を記録した小鶴誠である。ゴルフ指導者でもあった彼は、自らの名を冠した「新田理論」を提唱し、ジャンボ尾崎や中嶋常幸のスイングの根幹を作ったと言われている。広岡は監督代行になるとすぐに「アドバイザー」として新田に声をかけている。水谷が振り返る。

【次ページ】 中村天風、藤平光一からの「教え」とは

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