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「テレビの終焉です」WBC地上波放送が消えた“本当の意味”…Netflixと日本の放送、比較にならない“金額差”「WBCは稼げるイベントに変化した」
posted2025/12/18 17:01
観客動員、グッズ販売、スポンサー契約の収益…軒並み大会史上最高を更新した前回WBC
text by

水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
Naoya Sanuki
MLBは、WBCという国際大会が創設された当初から、拝金主義的なビジネスをやろうとしていたわけではない。野球を世界的に普及したいという、確固たるビジョンを持ってスタートしたプロジェクトだった。
その構想がいつ、どこで始まったのか。コウタ氏は2000年春、読売新聞社の上司とともにニューヨークのMLBオフィスを訪ねたときに初めて聞いたと回想している。
「野球を普及させる」WBCの創設意図
その年のシドニー五輪から、国際オリンピック委員会(IOC)が野球競技でのプロ参加を認めることが決まり、MLBに選手の出場を要請した。だがMLB側はマイナーに所属する選手の出場は認めたもののメジャーリーガーの出場を断固として拒み、IOC側も「ベストの選手を派遣しないのであれば、野球を五輪の競技種目から除外する」と応じたため、両者が険悪な状況に陥った。
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そこで持ち上がったのが、MLBが主導で行う国際大会だ。
「それまで1年おきに日米野球をやってきて、2000年にはメッツとカブスで初めてMLBの日本開幕戦を開催し、当時の両チームに日本人選手はいなかったけれど、それでも成功したということがありました。それで、韓国や台湾でもMLBを普及させたいという話が出た。当時はMLBコミッショナーが前のバド・セリグさんの時代でしたが、現コミッショナーのロブ・マンフレッドさんもミーティングに参加していました」
コウタ氏はそう振り返る。
世界に我々の野球を広めるのだという目標に向かって動き出したMLBは、2006年にWBCの第1回大会開催にこぎつけた。それと並行し、野球の普及が遅れているヨーロッパやアジアの国などにアンバサダーとして選手やOBを派遣して野球教室を開催したり、野球用具を寄付したりと精力的に普及活動を行った。例えば2004年からタイガースやヤンキースなどメジャーで16年間プレーしたカーティス・グランダーソン元外野手はアンバサダーとして、2006年に英国、オランダ、イタリア、2007年に南アフリカを訪れ、2008年には北京と上海でメジャーの選手としては初めて中国で野球教室を行い、2010年にはニュージーランド、2012年には日本、韓国と、オフシーズンになるたびに世界を飛び回った。

