「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
まさかの開幕スタメン剥奪「あれは一生忘れない」ヤクルト名捕手の怒り…広岡達朗92歳に直撃「なぜあの日、大矢明彦を外したのか?」意外な答え
posted2024/10/07 11:01
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Toshiya Kondo
「一生忘れない」大矢の無念…広岡に問う真意
ヤクルトスワローズが球団史上初の日本一に輝いた1978(昭和53)年――。広岡達朗監督3年目となるこの年、開幕戦でスタメンマスクをかぶったのは、球界を代表する名捕手・大矢明彦ではなく、プロ9年目の八重樫幸雄だった。すでに古希を迎えて数年が経った大矢に単刀直入に尋ねた。「なぜ、あなたが開幕マスクではなかったのか?」と。少し憤慨するような口調で大矢は言った。
「それは正直、僕が聞きたいです。僕はね、あれは一生忘れないですよ。前年にダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)を獲った。で、その次の年は開幕に出してもらえなかった。“まあ、若い人を使いたいんだろうな”って思っていました。これは僕の個人的な感想ですけどね」
「あれは一生忘れない」と大矢は言った。あれから46年もの年月が流れてもなお、忘れることのできない悔しい思い出として、今でも彼の胸に息づいている。どうして広岡はリーグを代表する名捕手となっていた大矢ではなく、まだ実績の乏しい八重樫を起用したのか? すでに92歳となっている広岡にとって、その記憶は曖昧だった。
「どうして八重樫だったか? 覚えていない。キャッチャーに関してはすべて森に任せていたので、森からの進言だったのかもしれない。ただ、監督として言えることは、“誰にでも平等にチャンスを与えたい”とは、常に考えていた」
もちろん、こんな回答では大矢が長年抱いてきた「一生忘れない」という悔しさは晴れるはずがない。当の大矢自身、この一件については広岡の発言にあるように、この年からスワローズに加入した「森昌彦(現・祇晶)バッテリー・作戦コーチの意向が大きかったのでは?」と考えている。