「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「左足が…もうダメだ」“靭帯断裂”がヤクルト初優勝の伏線に? あの名捕手から開幕スタメンを奪った八重樫幸雄の告白「僕が出てたら優勝してない」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/01/19 11:01
「打てる捕手」として長くヤクルトを支えた八重樫幸雄。1978年には開幕スタメンに抜擢されたが、シーズン序盤に靭帯断裂で戦線を離脱した
「それにしても速いよね(笑)。突然の開幕スタメンだったけど、まずは自分の仕事ができてホッとしました。この試合、デーゲームだったのがよかったのだと思います。ほら、オープン戦もデーゲームでしょ。だから、その延長で開幕戦に臨むことができたので、あまり緊張せずに済んだような気がします。もしも、いきなりナイターだったら、かなり緊張したと思うから」
冒頭でも述べたように、この開幕戦を振り返って、大矢は「僕はね、あれは一生忘れないですよ……」と言った。当の八重樫は、実績のあるライバルのことをどのようにとらえていたのか?
「大矢さんとしては、“今年も自分がスタメンだ”という思いだったはずです。それが、いきなり開幕当日にコロッと変わるわけだから、相当ショックだったと思います。逆の立場なら、僕もかなりショックですから。でも、僕としてはそんなことは気にしている余裕はなかったというのが正直なところです。ただただ、必死でしたから」
「左足が変な方向に曲がって…“もうダメだ”と」
開幕3戦目こそ、大矢がスタメンマスクを被ったものの、その後も八重樫中心の起用が続いた。4月1日から28日までの19試合において、スタメン出場を果たしたのは八重樫が15試合に対し、大矢はわずか4試合にとどまっている。しかし、29日の読売ジャイアンツ5回戦から、「八重樫」の文字はスコアボードから消えた。八重樫にとって「1978年4月28日」は、今でも忘れられない日となっている。本人が述懐する。
「この日の試合でケガをしたんです。大北(敏博)という選手がランナーで、土井(正三)さんがレフト前にヒットを打った。レフトは山下(慶徳)さんだったと思うけど、ホームへの送球がファースト側に逸れたんです。それで、左足を伸ばしたまま捕球して、ランナーにタッチをしようとしたら……」
最大限に加速したままホームに突入する大北の全体重が、八重樫の左ひざに伝わる。その瞬間、鋭利なスパイクの歯が八重樫のユニフォームを突き破った。