「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「左足が…もうダメだ」“靭帯断裂”がヤクルト初優勝の伏線に? あの名捕手から開幕スタメンを奪った八重樫幸雄の告白「僕が出てたら優勝してない」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/01/19 11:01
「打てる捕手」として長くヤクルトを支えた八重樫幸雄。1978年には開幕スタメンに抜擢されたが、シーズン序盤に靭帯断裂で戦線を離脱した
「やっさん(安田)はとにかく投球テンポが速いんです。初回はまだ間を空けて投げていたんだけど、2回からはトントントントン放ってくるから、こっちとしては捕るのが精一杯。そもそも、松岡さんは大矢さん、やっさんは僕と組む機会が多かったんです。当時は知らなかったんだけど、後にそれは本人の希望だったと聞きました。やっさんにとって、僕は投げやすかったみたいですね」
投球テンポを大切にしていた安田は、サイン交換に時間がかかることを極端に嫌がっていた。「ならばノーサインでいこう」となるのは自然の流れだった。
「左のエース」安田猛の取扱説明書
「やっさんと組むときは、完全にノーサインでした。ストレートとシュート、カット気味のスライダー、そして山なりの緩いカーブを投げていたけど、最初の頃はカーブを捕球するのに苦労しました。何を投げてくるかわからないから、スローカーブを投げられると、つい捕球の際に上体が突っ込んで、ミットが前に出ちゃう。要は前で捕ろうとしちゃうんです。それで、打者のバットに当たって、打撃妨害になりそうなことはしょっちゅうありましたよ」
しかし、ある日八重樫は気づいた。安田とバッテリーを組むときには、「基本はカーブを待って、ストレートに対応すればいい」ということに。
「カーブを待っていて、ストレートを投げられても、やっさんのスピードなら、まぁ捕れるんです(笑)。一応、サインを出すふりをすると、やっさんもうなずいたり、首を振ったりしていましたけどね。最初はストレート、カーブ、シュート、スライダーだったけど、速いシンカー、ナックル気味の遅いシンカーも投げ始めたので、それなりに大変だったけど、それでも何とかなりましたね」
この日、安田は一世一代のピッチングを披露する。9回を一人で投げ抜き、失点はギャレットのソロホームランのみ。投球数は97球、試合時間は2時間9分という見事な内容だった。八重樫が振り返る。