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「スタンドから『糸井』コールが起こる。それが最高に気持ちよかった」超人・糸井嘉男が3球団で感じた、スタンドからのエール
posted2026/02/27 11:00
text by

福田剛Tsuyoshi Fukuda
photograph by
Asami Enomoto
筋骨隆々。引退から3年が経った今も“超人”糸井嘉男の体つきは変わらないどころか、さらに仕上がっている感すらある。取材のこの日もジムでトレーニングを終えたばかり。鍛え上げられた体が生み出す身体能力は、トップアスリート25人が賞金3000万円をかけて争う『ファイナルドラフト』やアジア各国の肉体自慢が限界に挑むリアリティ番組『フィジカル100:ASIA』といったNetflixで配信中の番組で存分に発揮されている。
「この前、後輩のダルビッシュ有に会いにサンディエゴに行ったんですけど、アメリカでも番組が見られているみたいで、めっちゃ声をかけられました。ダルビッシュより有名ちゃうかなって思うくらいすごかったです(笑)」
糸井にとってファンからの声援は常に、自分の背中を押してくれるものだった。
「長いシーズン中はどうしても気持ちが弱くなって、あと一歩前に出られない時があるんです。そういうときにスタンドに目をやると、一生懸命に声援を送ってくれているファンの姿が見える。よし、やるかっていう気持ちになりますよね。もちろん、最終的には自分で何とかしなければいけないんですけど、どんな状況でも声援を送ってくれるファンの存在が、選手にとって大きな力になることは間違いありません」
二軍時代に感じたファンの声援への憧れ
ピッチャーとしてドラフト1位で日本ハムファイターズに入団しながらも才能が花開かず、野手に転向。二軍でもがき続けた経験を持つ糸井にとって満員のスタジアムでファンの声援を浴びながらプレーをすることは、大きな目標の一つだった。
「日本ハムに入団したのが2004年で、メジャーから移籍してきた新庄剛志さんは同期入団になるんですけど、当時の日本ハムは札幌に移転したばかり。パ・リーグのチームは人気でセ・リーグのチームとは大きな差がある、そんな時代でした。それが新庄さんの加入でがらりと変わりました。2年後の2006年に日本ハムが札幌ドームで日本一になるんですけど、そのときの声援は本当にすごかったですね。外野には稲葉篤紀さんもいて、スタンドのファンがジャンプをしながら応援する“稲葉ジャンプ”なんてベンチに座っていても揺れを感じるくらいのものすごい応援でしたから。このとき僕はまだ野手に転向して1年目で二軍生活。自分もいつかあの声援の中で野球をやりたい、あそこでやらないとプロ野球選手じゃないなと痛烈に感じました」
2009年に一軍に定着すると打率.306でベストナイン、ゴールデングラブ賞にも選ばれ、ブレイク。リーグを代表する選手に成長したスラッガーは、2012年のリーグ優勝にも貢献した。
「札幌市内を回った優勝パレードはめちゃくちゃ嬉しかったですね。こんなにたくさんの人が応援してくれていたんだって、沿道からの声援を受けて改めて実感しました」
優勝を決めたその年にオリックス・バファローズへトレード、その後2017年にはFAで阪神タイガースに入団する。
「最初はトレードにすごく抵抗があったんですけど、ファンの方を含めていろいろな出会いがありましたし、3球団で野球をやれて良かったと思っています」
3チームを経験したことで、選手を応援する声援にも大きな違いがあることが分かった。
「日本ハムのファンは優しいです。温かく迎えてくれる感じですね。オリックスは僕がいた頃は交流戦前で借金20みたいな暗黒時代。それでも応援してくれる心の広いファンでした。近鉄、ブルーウェーブ時代からのコアな層が、関西ならではのユーモアのある声援を送ってくれました。最後の阪神はやっぱり熱狂的ですよね。特にライトは甲子園だと一番熱心なファンがすぐそこにいますから。チャンスで凡打しようものなら、叱咤激励が飛んできます(笑)。その代わり、活躍したらヒーローですからすごくやりがいはありました。打点を挙げて守備に付くときにスタンドから『糸井』コールが起こる。それを聞くのが最高に気持ちよかったですね」
『龍角散ダイレクト』ののどに広がる爽快感に驚き
引退後は野球解説の仕事に限らず、コメンテーターやバラエティ番組などで幅広く活躍。メディアに出演する機会が増えたことで、気を使うようになったのが、のどのケアだ。
「現役の頃は体のケアは人一倍していましたけど、のどは一切気にしたことがなくて、せいぜいうがいをするくらいでした。でも今はしゃべるのが仕事なので、声がかすれたりしないようにのどの調子を気にするようになりました」
常に『龍角散ののどすっきり飴』を持ち歩き、いつでものどをうるおすことができるようにしている。
「住まいが関西なので、どうしても移動のために新幹線や飛行機に乗ることが多いんです。今の時期は飛行機のなかはすごく乾燥しているので、必ずマスクをしてのど飴をなめています」
取材当日、のどがイガイガしていると話していた糸井に試してもらったのが、『龍角散ダイレクトスティック』だ。ダイレクトの名前のとおり顆粒タイプの生薬成分がのどの粘膜に直接作用し、たん、せき、のどの炎症による声がれ・のどの不快感に効果を発揮する。
「いや飲みやすいですね。のどにスッと抜けるような爽快感が広がって、のどの違和感が和らぎました。すごくいいですね! しかも水なしで飲めるんですね。これなら持ち運びも楽だし、テレビの収録が始まる前とか時間のないときでもサッと飲める。これは便利ですね」
さらに体を鍛えている糸井が注目したのが、糖分の違いだ。
「のど飴は当たり前ですけど、砂糖が入っていますもんね。筋肉のために普段の食事も気を使っているので、糖分は極力少ない方がありがたい。これからはのどに違和感があるときは『龍角散ダイレクト』を飲むようにします」
声援をプレッシャーに感じるか、力に変えるのかは自分次第
3月5日、3年ぶりの野球の世界大会がいよいよ開幕する。糸井も2013年の第3回大会に出場した経験を持つ。
「あのときは日本が連覇した後の大会でしたので、負けられない。日本中が応援してくれているのも感じましたし、期待が大きい分、チームにかかるプレッシャーもすごかったですね。結果は準決勝で敗れてしまって本当に悔しかった。最後の試合はアメリカ・サンフランシスコのAT&Tパーク(現在のオラクル・パーク)で、日本に帰るのが嫌で嫌でしょうがなかったのを覚えています」
日本中から大きな期待とプレッシャーが注がれるなかでも、糸井自身は大会を楽しむことができたという。
「東京ドームは360度お客さん全員が日本を応援してくれるので、普段の試合よりも声援がすごかったですし、アメリカラウンドもAT&Tパークは最高の雰囲気でした。バリー・ボンズが場外の海にホームランを打ち込むスプラッシュ・ヒットが名物のスタジアムで、テレビで見ていたあの球場のグラウンドに立てるというだけで嬉しかったです。あの大会はとにかく井端(弘和)さんが打率5割を超える大活躍でしたけど、僕もそれなりの成績を残しているはずです(全7試合に出場、打率.286、1本塁打、7打点、2盗塁)」
ファンからの期待や声援をプレッシャーに感じてしまう選手もいるなかで、どうして声援を力に変えることができたのだろうか。
「厳しい言い方をすると、ファンの声援をプレッシャーに感じてしまう選手は実力がないわけですよ。だから練習するしかない。練習して自分に自信をつける。その自信がないからプレッシャーになると思っています。僕も元々ピッチャーでプロに入って、それが野手に変わって。右も左もわからない状況の中で最初はもう絶望していましたが、やればやるだけ力がつき、それが自信になる。結局、声援を力に変えるのは、自分次第。今も解説で球場に行くと、選手ってこんなに声援もらっていたんだって改めて思うんですよ。だからこそ現役の選手には、このかけがえのない時間を大切に、必死に野球に打ち込んでほしいと思います」
前回大会の劇的なフィナーレから3年、糸井が今回大会の侍たちに期待することは、ずばり連覇だ。
「今回は、アメリカだけではなくどの国もスーパースターを揃えてくるので、すごく楽しみです。厳しい戦いになるとは思いますが、それでも優勝して連覇を果たしてほしいです。個人的には、阪神の佐藤輝明選手にずっと注目しているので、どういう使われ方をするのか、すごく気になります。あとは大谷翔平選手、もう彼が来ると空気が一変して、最強の日本になるので。ピッチャーだと山本由伸投手ですね。彼は2019年から出場した国際大会ですべて優勝。しかも、昨年のワールドシリーズも制覇しているので、それが継続されるのか。たぶん継続されると思っていますけど……。僕はもう応援する側なので、龍角散ダイレクトでしっかりのどのケアをしながら、選手たちに声援を送りたいですね」
糸井 嘉男Yoshio Itoi
1981年7月31日生、京都府出身。近畿大学を経て、2004年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2006年に野手へ転向し、2009年に打率.306を記録し、初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得。2013年1月、オリックス・バファローズへトレード。2014年には打率.331で自身初の首位打者に輝き、2016年には自身初となる盗塁王のタイトルを獲得。同年オフ、阪神タイガースへ移籍。2022年に現役を引退。現在は野球解説者として活動するほか、タレント、YouTuberとしても活躍中。






