「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
ヤクルト監督・広岡達朗はなぜエースを“干した”のか? 謎に包まれた「松岡弘、空白の26日間」の真相…「私はいい選手に恵まれた」92歳の告白
posted2024/08/30 11:36
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Sankei Shimbun
ひたすら一本足で立つことだけを繰り返した26日間
広岡達朗監督の下、球団創設29年目にしてヤクルトスワローズは初の日本一に輝いた。日本シリーズでは2勝2セーブと獅子奮迅の活躍を見せ、1978(昭和53)年の沢村賞に輝いたのがエース・松岡弘である。しかしこの年の6月5日を最後に、7月2日に復帰するまで、彼にはまったく登板機会が与えられなかった。心身ともに万全でありながら、突然訪れた「空白の26日間」に松岡はとまどいを隠せなかった。
「遠征にもずっと同行させられていたので、試合後はホテルの広岡さんの部屋やスペースのある場所でずっと一本足で立つ練習です。広岡さんが言うには、“軸足でピーンと立てば、バッターは怖がるから”って。軸足で立ったときにしっかり立てていないと相手バッターは怖がらない。だから、きちんと立つこと。それでずっと一本足で立つ練習ばかりでした」
遠征先ではひたすら軸足で立つ練習を繰り返した。その根拠となったのは、広岡が師事する心身統一合氣道会・藤平光一の教えに基づくものであり、「臍下の一点に心を鎮め、氣を込めることができれば簡単に投げられる」との教えである。身体の軸をしっかりと保ち、無駄な力を抜いて、自然体で立つこと……。それが、広岡が松岡に求めたことだった
「何かがおかしい」広岡達朗が見抜いた“エースの異変”
46年前の初夏の日の出来事を広岡に尋ねた。彼は何を思い、エースの松岡に「空白の26日間」を強いたのか? その記憶は鮮明だった。
「あの頃の松岡は心身のバランスが取れていなかった。だって、マウンド上で真っ直ぐに立つことができていないんだから。明らかに何かがおかしい。それはベンチから見ていてもわかりますよ。だったら、それが直るまで修正するしかない。それがたまたま26日もかかったということなんでしょう」