「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

「監督はなぜこんな仕打ちを…」“広岡達朗に干されたエース”松岡弘がいま明かす1978年の葛藤「プライドが踏みにじられた気分でした」

posted2023/08/21 17:00

 
「監督はなぜこんな仕打ちを…」“広岡達朗に干されたエース”松岡弘がいま明かす1978年の葛藤「プライドが踏みにじられた気分でした」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

ヤクルト監督時代の広岡達朗と、右のエースとして活躍した松岡弘。初優勝から45年、松岡が指揮官と過ごした“濃密な日々”について語った

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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Sankei Shimbun

45年前、ヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた指揮官・広岡達朗は、優勝未経験のチームをどのように変革し、選手たちの心に何を残したのか。連載初回の「若松勉編」に続き、第2回では1978年の胴上げ投手・松岡弘にロングインタビューを実施。同年の沢村賞にも輝いた男は、ペナントレースのさなか、広岡の“指令”によって言いようのない困惑を味わっていた。厳格な監督とヤクルトが誇る大エースの、複雑な関係性に迫った。(松岡弘編の#1/#2#3#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時

「オレには信頼がない」開幕戦で突きつけられた現実

「やっぱり、オレには信頼がないんだな……」

 1978年4月1日、ペナントレース開幕戦に勝利し、歓喜にわくヤクルトスワローズナインの中で、松岡弘はそう感じていた。この日、プロ7年目にして初となる開幕戦を託されたのは安田猛だった。初めての大役を任された安田は、広島東洋カープ打線を5安打に抑える完投勝利を記録していた。

 前年までずっと開幕投手を任されていた松岡にとって、もちろんチームの勝利は嬉しいものの、複雑な思いを拭い去ることはできなかった。45年のときを経て、本人が述懐する。

「76年のシーズン途中に広岡さんが監督になって、初めて迎えた77年の開幕戦も結果を残せなかったし、広岡さんの中には“あいつは、よーいドンでつまずくヤツだ”という思いもあったんじゃないのかな? 本人に聞いたわけじゃないからわからないけど、開幕戦の勝率も悪かったし、それ以外にも大事な場面で失敗もしていたし、広岡さんからの信頼がないということは、それまでにもうっすらと感じていたから……」

 松岡の言うように、広岡にとって初めての開幕戦となった77年4月2日、神宮球場で行われた阪神タイガース戦において、松岡は開幕マウンドを託されたものの、チームは3対6で敗れている。かつて、松岡に「エースの自覚」について尋ねたことがある。拙著『いつも、気づけば神宮に 東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)から引用したい。「エースの自覚」を持ち始めたきっかけを尋ねた場面である。

「昭和46年、要するに71年かな? この年からずーっと投げ続けているからね。そして、本格的に《エース》という言葉を意識したのは開幕投手を任されるようになってからかな? 開幕投手になるというのは、監督から信頼されているということだから、“よーし、その信頼を裏切らないようにしよう!”と頑張れるからね」

【次ページ】 盟友・安田猛に対する松岡の思い

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