巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

日テレアナが絶叫「落合!落合やった!」あの落合博満40歳が弱気になった巨人1年目「中日には負ける…」どん底を救う「忘れられないホームラン」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2024/01/14 11:01

日テレアナが絶叫「落合!落合やった!」あの落合博満40歳が弱気になった巨人1年目「中日には負ける…」どん底を救う「忘れられないホームラン」<Number Web> photograph by KYODO

巨人1年目の1994年、打率.280で15本のホームランを放った落合博満(当時40歳)

 ぶ厚い雲に覆われた曇り空で行われた28日は、エースの今中慎二をリリーフ投入した中日が1対0で逃げ切り、ついに66勝59敗で4連敗の巨人とゲーム差なしの同率首位に並ぶ。まさに長嶋巨人にとっては絶体絶命の状況に追い込まれたわけだ。チーム状況はまさに最悪で、数々の修羅場をくぐり抜けてきた落合ですら、敗北を覚悟したほどだった。

「この時ばかりは『やれば負ける』という感じがしていた。正確に言えば「負ける」のではなく「勝てない」。中日の勢い云々よりも、巨人の選手たちが自信や闘争心を失いかけていたのだ。(中略)27日の第1戦は雨天中止。翌々日の29日に組み込まれた。いつもなら、緊張を一度解いて仕切り直しができるものだが、この時ばかりは決戦までの時間が長くなった分、若い選手たちの緊張感はピークに達していた。雨が台風によるものであり、翌日以降の天気予報も良くなかったので、私にしては珍しく2連戦の中止を願っていた」(プロフェッショナル/落合博満/ベースボール・マガジン社)

“神風”が「10・8」を生んだ

 その思いは、指揮官の長嶋茂雄も同じだった。今の自軍では中日の勢いを止める術がない。だが、29日のゲームが雨で流れてくれたら、ジャイアンツ球場に戻り気分転換を図れて、また10月から仕切り直しできると考えたのだ。

「チーム状態がどん底で敗色濃厚の翌二十九日、ナゴヤでの天王山の一戦は台風で中止になった。それは一番大きな天の恵みだった。私は東の空に向かって『よく雨を降らしてくれました』とかしわ手をうった。やっていたら高い確率で落としていただろう」(野球は人生そのものだ/長嶋茂雄/日本経済新聞出版社)

 なんとか中止を願い、それが現実となる。長嶋巨人には、まだツキがあった。のちにミスターは“神風”と振り返ったが、雨により九死に一生を得たのだ。そして、中止になった試合は追加日程として、両チームにとってのシーズン最終戦にあたる「10月8日」に組まれたのである――。

日テレアナが絶叫「落合!落合やった!」

 ともに残り5試合。恵みの雨により、息を吹き返した巨人は10月1日から逆襲の3連勝を飾る。東京ドームでのシーズン最終戦となる2日のヤクルト戦では、4対4の同点で迎えた8回一死一塁の場面で打席に落合が入る。

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