巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「あれには腹が立った…」巨人・落合博満40歳は激怒していた「絶対に中日は優勝させない」マスコミの猛批判、落合が許せなかった記事
posted2024/01/28 11:01
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。連載第12回(前編・中編・後編)、いよいよプロ野球史上「最高の試合」の日を迎える。伝説の「10.8決戦」、試合を前に落合博満は怒っていた。【連載第12回の前編/中編、後編も公開中】
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信子夫人が怒った「アンタ何言ってんのよ」
「10月7日に家を出る時、玄関で女房に『もし負けたら長嶋さん引退するだろうし、俺も辞めるから』と言ったら、怒られてね。『アンタ何言ってんのよ。名古屋に負けに行くの? 何が天下の落合よ』ってね。優勝なんか簡単にできないはずだって、頭に来たらしい。俺は、もうあそこまでいけばバタバタしないだろうと思っていた。でも、長嶋さんがもしユニフォーム脱ぐようなことになったら、俺が着てられるのかって、思った」(VHS「長嶋茂雄 第三巻 背番号33の時代」/メディアファクトリー)
落合博満は、その試合に負けるようなことがあれば、現役を引退する覚悟でいた。長嶋茂雄監督が「国民的行事」とまで口にした1994年10月8日。ペナントレースの最終戦で勝った方が優勝という、巨人と中日の130試合目の大一番である。前日の7日朝、落合を名古屋に送り出す信子夫人は、いつものようにタクシーの前ではなく、あえて玄関までしか行かず厳しい言葉をかけた。負担になるような過度な期待よりも、最後に突き放した方がいいと思ったからだ。
「落合とわたしは、無駄に長年夫婦をやってないわよ。ここでカンフル注射を打たなければならないと感じた時は、すかさず打つわけさ。信頼している女房から、スコンと羊羹みたいに切られると、だれだって悔しいじゃない。特に自分の年俸で生活しているカミさんに『期待していないよ』なんていわれれば、ムカつくじゃない。はっきりいってムカつかせなきゃ、亭主は大した仕事なんてできやしないのよ」(週刊ポスト1994年10月28日号)
松井秀喜「落合さんは、ボクの比ではない…」
普段は40歳でほぼフル出場を続ける四番打者のサポート役に徹し、野菜中心の食事メニューを考え、足の疲れを取る医療器具を寝るときにそっと落合の足に巻いた。しかし、大一番を前に「こうやって谷底に落として時々反応を見てやるの。これが落合とわたしのゲームで、それで反応しなければ、きっと年を感じるだろうね」という信子夫人なりの叱咤激励だった。それは確かにオレ流を刺激する。東京から名古屋に向かうために乗り込んだひかり253号の座席で、いつものようにマンガ雑誌を読むわけでも、眠るわけでもなく、ただ目をつむり微動だにしなかった。新横浜駅から乗り込んだ20歳の松井秀喜は、その普段とはまったく違う人を寄せ付けないようなオーラを発する大ベテランの姿に、これから待ち受ける戦いの重さを実感したという。