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「日本のベッカムになってくれ」小野伸二がアジア杯で輝いた日…トルシエ68歳が旧知の日本人記者へ託す伝言「再会を喜んでくれたら」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byJFA/AFLO
posted2024/01/14 17:01
ワールドユース準優勝会見後のトルシエ監督と小野伸二
「つまり彼は徐々にチームに復帰した。6カ月の離脱の後に私は彼をチームに戻し、A代表で何試合かプレーさせた。それはまた、若い世代が初めてA代表に合流したときでもあった」
――あなたはシドニー五輪とアジアカップのチームを同時に準備しました。小野はシドニーからは外れ、中田英寿と中村俊輔が選ばれました。レバノンは小野と中村でしたが、小野は中村と同じくアウトサイドでの起用でした。
「それはチームのバランスに関する問題だった。小野の本来のポジションが攻撃的MFであるのは私もわかっていた。そのうえで監督は効率的に機能する最善のチームバランスを保つために選手のポジションを選択する。
小野にはポリバレントな能力があった。彼は守備的な役割も十分にこなせ、アウトサイドでもボランチでもプレーができた。私は彼に左アウトサイドのポジションを与えたが、他に幾つかのポジションで起用したのもそれが理由だ。
W杯でも小野は左アウトサイドでプレーした。高いパス能力を生かせるポジションであり、後方から前線に創造力に溢れるパスを彼は送った。それだけ彼のテクニックは卓越し、高いモチベーションと情熱で私の要求に応えたし、与えられた役割で最大限のパフォーマンスを発揮した。たしかに本来のポジションではなかったが、多くのものを日本代表にもたらした」
ベッカムと同等の素晴らしい右足と知性
――私に小野へのメッセージを託したことを覚えていますか。「日本のベッカムになってくれ」と。
「彼にはベッカムの右足と同等の素晴らしい右足があった。そのうえプレーも知性に溢れていた。選手にとって重要な資質はどうプレーすればいいかを理解する能力だが、彼はそこをよく理解していたうえに判断も的確だった。
そのうえラストパスの供給能力では、日本最高選手のひとりだった。中村にも同じだけの能力があったが、私が思うにアシストに関して最も卓越していたのは小野だった。ちょっとプラティニのような感じだ」
小野はそうした私のメッセージを理解していた
――小野はあなたのことを「自分にとっては日本代表監督のなかで最高の監督だった」と語っています。