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全日本プロレスに「猪木のテーマ」が流れた日…「全日本を乗っ取りにきた」中嶋勝彦が“闘魂スタイル”で伝統の三冠ベルトを手にした意味
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2024/01/12 17:02
赤い闘魂マフラー姿の中嶋勝彦は全日本プロレスのリングで「ダーッ」を叫んだ。2023年12月31日、国立代々木競技場・第二体育館
中嶋はアリキックも繰り出し、緊張感のある試合をした。宮原のシャットダウンスープレックスを封じると、最後はノーザンライトボムからの腕固め。これは1986年に猪木がアンドレ・ザ・ジャイアントに、1996年にはビッグバン・ベイダーに決めたものだった。
「私がいた時代の新日本プロレスの戦いがありました。私はレスラーではない。どういう試合をしてくれるか、それを楽しみに試合場に行くんです。これからもファンの心に残る試合をしてもらいたい」(新間氏)
「最近、こういうことをしたレスラーがいましたか?」
1月3日、後楽園ホール。中嶋は2度目の防衛戦を戦った。
「この防衛戦が3日後にスケジュールされたのはおかしい」(中嶋)とひと悶着あったが、主催者である全日本の福田剛紀社長は強行した。
中嶋の相手は宮原とは毛色の違うアメリカのNXT所属のチャーリー・デンプシーだった。ちょっとした見た目はかつてのNWA世界王者ジャック・ブリスコ。だが、1990年代に新日本プロレスのリングにも上がったロード・スティーブン・リーガル(ウィリアム・リーガル)の息子で、オールド・ヨーロピアン、ランカシャースタイル・レスリングの流れを継ぐ者という触れ込みだった。あえて遡れば、間接的にはビル・ロビンソンやピート・ロバーツと言った強者たちの系譜だ。
デンプシーの実際の戦い方はヨーロピアン・スタイルにアメリカンを加味したもので、関節技を駆使し、ブリッジしての投げ技もきれいだ。オールド・ヨーロピアンと言うよりはモダン・ヨーロピアンだろう。いいレスラーで潜在的なものを感じることができた。デンプシーは何度か中嶋をフォール寸前まで追い込んだが、最後はノーザンライトボムに沈んだ。
中嶋は三冠ベルトを掲げ、このベルトをNXTのリングに持って行って防衛戦を行うプランを表明した。
「最近、こういうことをしたレスラーがいましたか?」
中嶋は記者たちの顔を見回した。三冠ベルト、これは中嶋の目的に対する手段なのかもしれない。
腕の負傷での長い離脱から復帰して間もない芦野祥太郎が、1月27日のエスフォルタアリーナ八王子大会で中嶋に挑戦するが、中嶋はすでにその先を見ている。
今の中嶋は素直に面白い。
「闘魂スタイルvs.王道」とは言っても、リング上で誰がどれだけのことをやるかで、ネーミングは付属的なものと言っていいだろう。