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全日本プロレスに「猪木のテーマ」が流れた日…「全日本を乗っ取りにきた」中嶋勝彦が“闘魂スタイル”で伝統の三冠ベルトを手にした意味
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2024/01/12 17:02
赤い闘魂マフラー姿の中嶋勝彦は全日本プロレスのリングで「ダーッ」を叫んだ。2023年12月31日、国立代々木競技場・第二体育館
「オレが三冠ベルトを取ったら変わっていく」
そしてメインが中嶋と宮原健斗の三冠ヘビー級戦だった。10月にノアを去り、全日本に姿を現した中嶋は勢いづいていた。11月5日に札幌で青柳優馬から三冠ヘビー級王座を奪い第71代王者となった。12月6日の後楽園ホールの世界最強タッグ決定リーグ戦では、大森北斗と組んで優勝を果たしている。
中嶋は変わった。変わることができた。筆者は壊れかけた金網のリングで懸命に空手の蹴りを放つ15歳の少年を思い浮かべた。そんな「ナカジマくん」も、プロレスのキャリア20年。35歳になった。
「オレが三冠ベルトを取ったら変わっていく。この地形を変えてやる。闘魂スタイルの中嶋が変えてやる」
中嶋は自身の「最後の勝負」に「一番必要なもの」として「歴史の長い三冠ベルト」を挙げた。「侵略者」と呼ばれ、ブーイングを浴びても胸を張って「全日本を乗っ取りにきた」と豪語する。中嶋の師匠はもちろん佐々木健介だ。
中嶋はノアのリングで宮原健斗を見るようになった。そして「懐かしい香り」を感じていた。そして、めぐって来た宮原との対戦をいいチャンスだと感じた。物事にはタイミングや流れがある。
「このタイミングをオレのものにしたい。純粋に楽しみたい。過去は過去として、今を生きる。その結果、近づくのか、離れるのか」
宮原がプロレスに入るときの試験官が中嶋だった。そして健介オフィスの先輩と後輩。それは変わらないが、それぞれ別の道を歩んできた。
それでも全日本プロレスで「最高の男」宮原には「オレの方が上」という思いがある。
7月の遭遇では、宮原の挨拶は中嶋へのビンタだった。だが、試合には負けてしまった。
「この世で一番借りを作りたくない相手に借りを作った」と宮原は悔しさをにじませた。
中嶋はこんなことを言った。
「10年前のいろんな思いが蘇った。オレの知らない宮原健斗だったよ。健斗が全日本で最高と言われる訳はわかった。10年ぶりのリングでの会話だった。本当のワンナイト・ドリームなのかもしれないけれど、プロレスはこの先、何が起こるかわからないから楽しい。その時を楽しみにしているよ。譲れないよ、まだね」
そして、大晦日、中嶋と新間氏は入場口からリングサイドまで歩いた。新間氏は新日本プロレスのブレザーを着ていた。そしてコーナーのイスに座って試合を見つめていた。