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「戦いたいのか? 走りたいだけなのか?」原晋は学連選抜の選手たちに投げかけた…まさかの総合“4位”、「寄せ集め集団」の逆襲はなぜ起きた?
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byTakashi Shimizu
posted2024/01/14 06:02
2008年の箱根駅伝、学連選抜の監督としてチームを4位(参考記録)に導いた原晋。箱根の歴史にはじめて名を刻んだ「伝説のチーム」の実像とは?
2009年の正月、第85回の箱根駅伝に出場した青山学院大は23チーム中、22位に終わった。
それでも、構わなかったのだ。
箱根出場はひとつのお祭りであり、ここが原と青山学院大にとって本当のスタートと言ってよかった。すでに予選会で次点になった時から、高校生たちの間では「青学が強くなりそうだ」という噂が広まり始め、超一線級とまではいわないが、成長の余地を残した選手が入学を検討するようになっていた。
ずいぶんと大きなフォームで走る子。その名は…
2010年には、前年22位のチームが一気に8位へと駆け上がり、シード権を獲得する。このメンバーで強くなっていこう。チーム全体が目標を共有し始めたのだ。ようやく原がイメージしていたような個性あふれる学生の集団へと変化が始まった。
「人間的な魅力のある選手たちが集まってくるには、組織というものの『土壌』を耕さなければいけないとつくづく感じました。組織のカラーが確立されれば、自然とその色に近い人間が集まってくる。いきなり、2、3年目にこんな雰囲気を作ろうとしても不可能でした。功を焦って、全体が見えていなかったんです」
そしてこの年の夏、原は合宿地でひとりの高校生に目を留める。
「ずいぶんと大きなフォームで走る子がいるなあ」
体重は40キロに満たないその少年は、愛知県の中京大中京高校の2年生で、名前を神野大地といった。
神野が2015年の箱根駅伝の5区で、駒澤大を抜き去り、青山学院大学が優勝するための必要なピースになるとは、このときはまだ誰も知る由もなかった。
まさに、青山学院大は頂点まで一気に駆け上がったのだ。
<「現役時代」編とあわせてお読みください>