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「戦いたいのか? 走りたいだけなのか?」原晋は学連選抜の選手たちに投げかけた…まさかの総合“4位”、「寄せ集め集団」の逆襲はなぜ起きた?
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byTakashi Shimizu
posted2024/01/14 06:02
2008年の箱根駅伝、学連選抜の監督としてチームを4位(参考記録)に導いた原晋。箱根の歴史にはじめて名を刻んだ「伝説のチーム」の実像とは?
「僕は中京大の出身ですから、他の関東の監督さんたちと上下の関係がないのも結果的に良かった。だから、そうしたことを言われても『本当に強い選手を使いますから』とハッキリと伝えました」
私は走りたいと思った選手を手助けしただけ
そして、原の作ったチームは力を発揮した。特に5区を走った福山真魚(上武大)が区間3位の走りを見せると先行する大学を5人も抜き、4位で往路を終えた。復路に入っても勢いが止まらない。佐藤雄治(平成国際大)が区間2位の走りで3位に順位を上げた。7区で5位と番手を下げたものの、8区の井村光孝(関東学院大)も区間2位と大健闘を見せ、再び3位へ。9区には中村嘉孝(立大)が起用され、ふだんは陸上とは無縁の大学だけに、大きな話題を呼んだ。このあたりのプロデュース能力はもともと優れていたのだ。
学連選抜は粘って粘って4位で大手町に戻ってきた。大成功だった。
「私は走りたいと思った選手を手助けしただけです。私が他の大学の学生に走れ、と怒鳴ったところで誰も走りやしません。最初のミーティングでみんなが目標を設定して、それでやる気になっただけなんですよ」
この学連選抜での成功体験は、原に自信を与えた。自分の「チーム・ビルディング」の方法は間違っていない。この路線で強化を進めていけば、箱根には絶対に出場できる。
青学が強くなりそうだ
そして2008年10月、青山学院大は箱根駅伝の予選会を突破する。箱根出場は実に33年ぶりのことだった。
「関係者のみなさんは喜んでくれましたが、私に嫌がらせをしたOBが握手を求めてきた時、私は手を差し出しませんでした(笑)」