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岡田彰布「キャバレーで熱唱していた」少年時代…阪神を“1年で優勝させた男”は何者か? 一般入試で早稲田合格、コーチに激怒「頭に入れてこい」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2023/11/03 11:01
1985年、阪神優勝時の岡田彰布。幼少期から現在に至るまでの岡田を知る人物が、その素顔を明かした
「一般入試で早稲田に合格したんよ。他のもんとはちょっと違いますわな。岡田は本当に頭が良かったからね」
岡田は著書でこう述懐している。
〈当時の早稲田は、スポーツ推薦とか、そういう制度はなかった。ただ野球部のセレクションはあって、そこで評価されると野球部として応援してくれる。応援というても、文字通り応援してくれるだけよ。入試の対策と傾向みたいな勉強会をするだけやったなあ〉(2009年11月発行/『オリの中の虎』/ベースボール・マガジン社新書)
「パパね、資料をじーっと見とるんです」
持ち前の頭脳は監督としてフルに活かされた。2004年からの第1次政権時代、三宅スコアラーが岡田の自宅に資料を届けると、陽子夫人からこんな言葉を聞いたという。
「ウチのパパね、深夜に帰ってきても、朝10時には椅子に座って三宅さんの資料をじーっと見とるんですよ。2時間ぐらいずっと」
岡田監督は相手の投手、打者、守備、作戦の傾向など数十枚に渡るデータを読み込み、その日のゲームプランを立てていた。
「コーチは自分の担当部門だけ把握しておけばいいけど、岡田監督は全て覚えて球場へ行くわけですな。先々を読んで采配を振るため、完璧に頭に入れている。データを入念に分析して、自分なりに活用する。仰木さんに似ているんじゃないかな」
岡田が尊敬する「仰木さん」と飲んだ夜
80年に憧れの阪神に入団して以来、主軸を担ってきた岡田は2年連続打率1割台に終わった93年10月、戦力外通告を言い渡される。35歳のベテランは現役続行を望み、オリックスに移籍して仰木彬監督と出会った。岡田は著書でこう綴っている。
〈人はよく「仰木マジック」と呼んだが、日替わりで組む打線にしても、選手の状態、相手投手との相性をすべて自分なりに把握し、選手の動きをすべて見て決めていた。何も言葉に出さなくてもいい。“見る”ということの重要性。仰木さんに教えられたことは、後に自分の監督としての基本になった〉(2008年11月発行/『頑固力』(角川SSC新書))
球界再編で近鉄とオリックスが合併した04年オフ、仰木は新生オリックス・バファローズの監督に就任。翌年から始まった交流戦で、愛弟子の岡田監督と対戦した。全6戦を阪神の4勝1敗1分で終えた6月9日、仰木は「今晩行こう」と岡田を飲みに誘った。