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岡田彰布「キャバレーで熱唱していた」少年時代…阪神を“1年で優勝させた男”は何者か? 一般入試で早稲田合格、コーチに激怒「頭に入れてこい」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byMakoto Kenmizaki
posted2023/11/03 11:01
1985年、阪神優勝時の岡田彰布。幼少期から現在に至るまでの岡田を知る人物が、その素顔を明かした
岡田が中学3年生の72年夏も、甲子園でベスト8まで進んだ。しかし、中継の実況アナウンサーが「4番の捕手は留年している」と話したことに、校長が「恥をかかされた」と過剰に反応。「もうクラブ活動には力を入れない」と宣言したため、岡田は付属校ではなく“大阪私学7強”の1つである北陽への進学を目指した。三宅が振り返る。
「岡田の名は大阪で知れ渡っていたから、北陽は『引き抜きと思われるので入学は辞退してほしい』と断ったんよ。ほんだら親が『一般入試で合格したら野球させてくれるか』と聞いた。(北陽の)松岡監督は『試験を突破したら、私はそれ以上のことは何も言えない』と認めてくれた。岡田は勉強して受かった。子供の時から、自分で道を切り拓いて行ったんよ」
「文武両道の時代」早稲田に一般入試で合格
北陽では1年夏に大阪大会の決勝戦で2ランを放ち、PL学園を破って甲子園に出場。聖地でも「7番・レフト」でベスト8まで進出した。
「野球と並行して、勉強もよくしとったよ。早慶戦に憧れて早稲田大学を目指しとったから、高1の時から家庭教師を週2回頼んでいた。そのため、岡田は特別に練習を早く切り上げていたと聞いたな」
当時の強豪校では珍しく、北陽は1日3時間程度の練習で試験前の1週間は休みだった。文武両道を掲げる岡田に合った高校だった。松岡英孝監督には狙いがあった。
〈心身ともに疲れたら、野球で1番大事な頭の回転能力も落ちる。人間が集中できる時間は限られているし、当然ケガも起きやすい。次に“よし行くぞ!”と頭も筋力もフル回転させるためにも、休ませることはすごく大事なんです〉(2005年10月7日付/日刊スポーツ大阪版)
岡田の2年秋、北陽は大阪大会で優勝して近畿大会でもベスト4に。3年春のセンバツ出場が確実視されたが、応援団の部員が不祥事を起こして夢は潰えた。夏の府大会では『エースで4番』の主将として5連投したが、決勝で興国に敗れて甲子園には届かなかった。岡田は大学受験に気持ちを切り替えた。