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野村克也でも星野仙一でもなく「岡田彰布がNo.1監督」阪神で25年“チーム事情を知る男”が語る「なぜ天才的な采配ができるのか?」

posted2023/11/03 11:00

 
野村克也でも星野仙一でもなく「岡田彰布がNo.1監督」阪神で25年“チーム事情を知る男”が語る「なぜ天才的な采配ができるのか?」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

野村克也も星野仙一も、岡田彰布には敵わない――阪神で25年間スコアラーを務めた男が明かす、その真意とは

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岡野誠

岡野誠Makoto Okano

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Naoya Sanuki

「野村さんは、今までの綿密なデータを元に対策を立てる。だけど、岡田はデータに自分の感性や野球観を入れるんや」
 知将・野村克也も闘将・星野仙一も、岡田彰布には敵わない――。阪神で1982年から2006年までスコアラーとして、8人の監督に仕えた三宅博(82歳)。岡田を“ナンバーワン監督”と評する、その真意とは。(全3回の1回目/#2#3へ)※敬称略。名前や肩書きなどは当時 

 ◆◆◆

「私が携わった中で、一番の監督は岡田だと思いますわ」

 阪神で25年。スコアラーとして、安藤統男、吉田義男、村山実、中村勝広、藤田平、野村克也、星野仙一、岡田彰布と8人の監督に仕えた三宅博はなぜ、野村でも星野でもなく、岡田をナンバーワンの指揮官と考えるのか。

「衝撃的な監督は野村さんですわ」

「ミーティングで戦術的な話をできたのは安藤さん、野村さん、岡田の3人かな。吉田さんの時は一枝修平さん、星野の時は島野育夫がデータ分析をしとったからね」

 60年、三宅は倉敷工業高校からタイガースに入団。1年目にウエスタン・リーグで盗塁王に輝いて将来を嘱望された。しかし、5年目に右ヒザ靭帯を断裂し、6年目の65年に引退。鉄鋼商社の営業マンとして働いていたが、80年に二軍コーチとして阪神に復帰。82年からスコアラーを務めた。

「衝撃的な監督は野村さんですわ。それまで阪神はストライクゾーンを9分割して考えとったけど、81分割になった。スコアラーが調べるポイントも明確に言い渡された。相手打者には『どの球種、コースを芯で捉えるか、凡打するか』など12項目、相手投手には『ストレート系を何球まで続けるか』『サインに首を振った後に何を投げるか』など5項目がありました」

 試合前の打者ミーティング、バッテリーミーティングにも野村は必ず出席した。

「そんな監督は珍しいよ。30分あって、まず先乗りスコアラーが15分くらい説明して、チーフの僕が補足する。その後、野村さんが15分ほど相手の傾向などを喋るんや。コーチは一切、口を挟まない。ホンマ、勉強になりましたよ。野村さんが監督になって、ようやく阪神でもデータが活かされるようになった」

野村と岡田…何が違うのか?

 そんな猛虎の歴史を変えた指揮官よりも、岡田監督を評価する理由は何か。

【次ページ】 シンプルかつ現実的…岡田の言葉

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