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岡田彰布34歳の苦言「ほんまに優勝したいんか!」“屈辱の代打”事件で後輩が謝罪…阪神“暗黒時代”にも「9月失速」、戦力外通告までゴタゴタ
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/04 17:42
1992年の岡田彰布(当時34歳)。1979年ドラフト1位で阪神に入団した岡田は、翌93年に戦力外通告を受ける
しかし、優勝に近づくに従い、経験不足からプレッシャーとストレスが募っていた若い選手たちには、この監督の言葉がさらなる重圧となった。
亀山は《一戦必勝の気持ちは持ち続けていたんですが、中村さんが口にした『大きな土産』。あの言葉を聞いてからものすごいプレッシャーがのしかかってきたんです》と、のちに明かしている(『Number』1029号、2021年7月1日発行)。
“屈辱の代打”事件
果たして長期ロードの緒戦である巨人との2連戦(東京ドーム)をいずれも完封負けで落とし、続く神宮でのヤクルト戦も負け越し、名古屋での中日戦はリードしていた試合が雨でノーゲームになったあげく、次の2試合に連敗。結局、長期ロードは3勝10敗の惨敗であった。最後の希望は、残り2試合、甲子園でのヤクルトとの直接対決で連勝してプレーオフに持ち込むことだった。だが、本拠地に戻ってきた阪神ナインはすでに力尽きており、10月10日の初戦であっさり負け、優勝を逃したのである。
シーズン終盤で若手が苦境に陥るなか、本来ならチームを支えるべきベテランたちの心はすでに監督から離れて久しかった。先に書いたように、監督や球団が世代交代を急ぐあまり、優勝を経験したベテラン選手を主力から外したことが結果的に仇となったのである。
1985年の優勝メンバーである岡田彰布もまた、開幕まもない4月25日の中日戦でクリーンアップから外され7番に降格したあげく、5回1死満塁のチャンスで自分の代打に亀山を送られるという屈辱を味わう。このとき遊ゴロに終わった亀山はすぐさま岡田に謝りに行ったが、「おまえのせい、ちゃうよ」と言う岡田の機嫌はあきらかに悪かったという。
岡田は後年、このときの代打について監督の中村から説明はあとにも先にもなく、正直、気持ちがそこで切れてしまったと語っている(江夏豊・岡田彰布『なぜ阪神は勝てないのか?――タイガース再建への提言』角川oneテーマ21、2009年)。
コーチに文句「本当に優勝したいんか」
岡田がこのとき痛感したのは、選手のモチベーションがいかに重要かということだった。1992年のシーズンにチームが優勝を逃した理由も、やはり選手たちの気持ちの問題と見て、次のように振り返っている。