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岡田彰布34歳の苦言「ほんまに優勝したいんか!」“屈辱の代打”事件で後輩が謝罪…阪神“暗黒時代”にも「9月失速」、戦力外通告までゴタゴタ
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/11/04 17:42
1992年の岡田彰布(当時34歳)。1979年ドラフト1位で阪神に入団した岡田は、翌93年に戦力外通告を受ける
だが、4月下旬に故障者が出たため40人枠に入ると、さらに5月中旬には主砲・オマリーのやはり骨折による離脱という事態を受け、一軍ベンチに引き上げられた。そして5月26日の大洋(現・DeNA)戦で初めてスタメンに起用されると、初打席、初球を豪快に叩いてホームランにしてしまう。その後、オマリーの復帰後も新庄はサードからセンターへと回り、幅広い守備でレギュラーに落ち着くことになった。
センター・新庄は、1985年の優勝メンバーである真弓明信からライトのレギュラーを奪った亀山と、プロ入り6年目のレフト・八木裕とともに12球団屈指の外野陣を形成し、投手陣を何度も救うことになる。その投手陣も、このシーズンから甲子園球場のラッキーゾーンが撤去されたおかげでエースの仲田幸司をはじめ安定した。6月にはプロ2年目の湯舟敏郎がノーヒットノーランを達成し、湯舟と同期の田村勤も抑えとして急成長した。野手では、3番・パチョレック、4番・オマリーが打線を牽引し、ルーキー・久慈照嘉がレギュラーの遊撃手として新人王を獲得している。
「お土産」発言がプレッシャーになった
世代交代による若手の躍進で勢いづいた阪神は、8月の高校野球開催中の「死のロード」も10勝6敗と10年ぶりに勝ち越すと、9月に入ってからは引き分けを挟んで7連勝する。引き分けとなった9月11日のヤクルト戦(甲子園)は、9回裏の八木のサヨナラホームランが取り消され、試合が続行された結果、延長15回、日本プロ野球史上最長記録となる6時間26分におよぶ激闘となった。あとから振り返るにつけ阪神には悔やまれる試合であったが、それでも続く2試合でヤクルトに勝ち越して7月以来となる首位に返り咲く。
ヤクルトはこの引き分けを挟み9連敗を喫し、その間に巨人が2位に浮上、セ・リーグのペナント争いはシーズン終盤に入っても混戦をきわめる。そのなかで阪神は、7連勝目の9月19日の時点で2位・巨人に3ゲーム差をつけ、同月下旬からの18泊13試合におよぶ長期ロードを勝ち越せば、7年ぶりの優勝が見えてくるというところまで来ていた。
中村監督から「大きなお土産を持って(甲子園に)帰りたいと思っています!」という言葉が飛び出したのは、その長期ロードに旅立つ前の記者会見でのことだった。「お土産」とはもちろん優勝を指す。