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真鍋慧の視察でビックリ発掘→ドラフト指名…無名公立校「まさかプロ野球選手が出るなんて」スカウト対応も初めてだった“現場ドタバタ劇” 

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井上幸太

井上幸太Kota Inoue

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posted2023/11/02 06:01

真鍋慧の視察でビックリ発掘→ドラフト指名…無名公立校「まさかプロ野球選手が出るなんて」スカウト対応も初めてだった“現場ドタバタ劇”<Number Web> photograph by Kota Inoue

島根の公立校・三刀屋(みとや)からプロ野球選手が誕生した。その舞台裏とは

甲子園も狙える代…監督の苦悩

 今年の三刀屋は、髙野だけでなく、左の巧打者である槇野隼稀(しゅんき)、2年生ながら最速143キロに達した左投手の三原陽空(はるく)を擁するなど、戦力が充実していた。学校として1978年夏の初出場以来、監督である自分にとっては初の甲子園出場が十分に狙える――。指導者として千載一遇のチャンスを迎えていたが、夏が近づくにつれて、國分監督の悩みは増幅していく。苦悩の要因は「アピールと勝利の両立」だった。

「髙野は元々サードだったんですけど、2年夏前の練習試合でイレギュラーした打球が鼻に当たって骨折したこともあって、夏はレフト、秋はセンターを守らせました。さらにチームを勢いづける期待を込めて、『島根の浅野翔吾になれ!』と、秋は打順も4番から1番に変えていたんです」

 6月のある日。毎日提出する野球ノートに、髙野がこんな言葉を記したという。

「甲子園に行けるなら、自分がプロに行けなくてもいい。打順も守備位置も國分先生に言われたところをやります。とにかく甲子園に行きたいです」

アピールと勝利…どちらも狙う“決断”

 ノートの表紙をめくったところにある「目標」欄には、「プロ野球選手」と力強く書かれている。春以降、故障でアピールの機会が限られ、その夢をつなぎとめられるかの瀬戸際に立たされている。それでも主砲は「自分のアピールよりも、チームを優先してほしい」と、指揮官に訴えたのだ。そして、國分監督が悩んだ末に出した答えは、「1番・三塁手」だった。

「スカウトの方々に『すみません! 夏もチーム事情で外野です』と勇気を出して言おうかと思ったんですが、サードに戻ることを踏まえて評価してくださった球団もある。それを伝えた瞬間、わずかながらも残っているプロ入りの芽を摘んでしまうんじゃないかという怖さがありました。打順も中軸に置きたかった気持ちがありましたけど、秋に勝ち上がったのも1番の髙野が打ったから。その残像がありましたし、5、6月の実戦で全く結果が出なかったので、一打席でも多く打席に立たせたかったんです」

 熟考の末に出した答えは、孕んでいた期待と不安の両方を夏の初戦で発出した。

〈つづく〉

#2に続く
ドラフトウラ話「指名漏れを思うと当日会見は…」「調査書の数は公言していいのか」無名公立校“テレビに映らない”ドタバタ現場《ヤクルト育成2位》

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