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「日本のバレー、強いよね!」石川祐希が変えた“王国”の価値観…20年前のイタリアでは想像もできなかった「ナカタやハラダと同じ覚悟がある」
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/07 11:03
キャプテンとして日本代表を牽引する石川祐希(27歳)
日本バレー界にとって石川はオンリーワンだが、9年前にモデナに入団した当時の彼は、セリエAのワンオブゼムに過ぎなかった。関係者か専門誌のベテラン記者でもない限り、95年の冬にイタリアへやってきた初めての日本人、モトコ・オオバヤシの名を記憶に留めるイタリア人は人口10万に満たない当地アンコーナの好事家だけだろう。
“天下一決定戦”の舞台では相当の活躍をしなければ、あっという間にお払い箱だ。イタリア全土のファンや世界中のバレー関係者の注目を喚起し、記憶に残ることは至難の業といえる。
日本バレーには長く低迷の時代が続いた。ジャッポーネ(=日本)は、かつて素晴らしいバレーアニメを作り、世界大会のホスト国ではあっても五輪には出ないし、ワールドクラスのスーパープレーヤーはいない。それが最高峰リーグを抱える国に長く続いた認識であり、9年前にやってきた19歳の石川が直面した世界の現実だった。
中田英寿や原田哲也に通ずる「主役になる覚悟」
日本国内の圧倒的多数派である日本人の中にいると気づきにくいが、集団の中でマイノリティが主導的立場に立ち、エースやリーダーとして認められ、先頭に立ちチームを引っ張っていくためには、途轍もない覚悟とエネルギーがいる。
1998年、サッカーのセリエAクラブ、ペルージャに中田英寿が入団したのは21歳のときだった。“日本人にサッカーができるものか”という偏見の中で若き日の中田は司令塔としてチームを掌握し、ビッグクラブであるローマに移籍、スクデットという野心を成就させた。
前年には、先述した原田哲也が当時2輪レースの世界グランプリ(250ccクラス)で隆盛を誇ったイタリアンメーカー、アプリリアに迎えられた。彼もまた自分がエースだと周囲に認めさせる重要性を理解していた。
中田と原田にあったのは、世界最高峰の舞台でお客さんになるのではなく自分が主役になるという覚悟だ。
言語やコミュニケーション力は大前提として、イタリアでの石川の足跡で評価すべきは、根底にあるその精神力だろう。