「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER
「もう使わんから、東京に帰れ」広岡達朗の非情宣告にも負けず…ヤクルト初優勝の功労者・井原慎一朗の告白「胴上げで落としてしまおうかと(笑)」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2023/09/29 17:32
ヤクルト監督時代の広岡達朗(中央)。井原慎一朗(左)に対して「投手以前の問題」「東京に帰れ」など厳しい言葉を浴びせることもあった
悲願の優勝、プロ9年目で初めて味わう歓喜の瞬間
9月17日には、待望のマジック14が点灯した。19日から21日にかけて、神宮球場で行われたドラゴンズ戦では3夜連続サヨナラ勝利というミラクルも実現した。しかし、井原は意外なことを口にした。
「あの3日連続サヨナラ勝利、ドラゴンズのピッチャーは星野(仙一)さんでしたよね。あれは星野さんだったから、ド真ん中の直球勝負で挑んだんだと思います。それもあって、バッターも狙いやすかったんじゃないのかな」
もちろん、何も確証はない。しかし、誰よりも「打倒巨人」に情熱を燃やしていた星野ならではの投球ではないのか、井原にはそんな思いが今でもある。そして、紆余曲折はありつつも、10月4日、ついにヤクルトは球団創設初となる優勝を実現する。歓喜の瞬間を井原が振り返る。
「もちろん、すごく嬉しかったです。僕もブルペンで肩を作っていたけど、あの日先発した松岡さんのピッチングは最高でした。よく、“胴上げ投手になりたかったのでは?”と聞かれるけど、そんな思いはまったくなかったです。弱い時期からエースとしてチームを支えた松岡さんが胴上げ投手になって、本当によかったと思います」
ここまでしゃべった後に、井原の口元から白い歯がこぼれる。
「あの日、胴上げの瞬間に、僕は少し出遅れています。というのも、“本当に胴上げするのかな?”“胴上げをボイコットするのかな?”って、少しだけ様子を窺ってしまったからです。僕はあの冗談を信じてしまっていたんです(笑)。だから、あの日の映像を見ると、胴上げの輪の外を動き回る背番号26、僕の姿がずっと映っているんですよ」
球団にとっては創設29年目、井原にとってはプロ9年目にして初めてつかんだ栄光の瞬間、歓喜の瞬間だった――。
<第4回に続く>