- #1
- #2
JリーグPRESSBACK NUMBER
「サッカーって面白いの?」「日本でプロなんて」の声も…“三菱時代”から浦和レッズを支える女性職員に聞いた“Jリーグ誕生前夜”の物語
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byMiki Fukano
posted2023/10/10 18:00
前身の“三菱時代”からクラブを支える浦和レッズの職員・村瀬佳代さんに、Jリーグ誕生前夜のドラマを聞いた
――森さんは日本代表監督の経験者で、お兄さんの健兒氏ともども、プロ化推進に尽力された方ですね。
「ある日、森さんから『浦和市から申し出があるので、聞いてみようと考えている』と報告がありました。浦和では早くからプロサッカーチームの誘致に動いていて、本田技研工業サッカー部(現・Honda FC)が決定的だと言われていたんです。でも、本田技研はプロ化を見送ることになり、三菱自工にお話が来ました」
浦和という街に根を下ろした“はじまりの日々”
――浦和という街についてはどのような印象を持っていたのでしょうか?
「浦和市について、あまり深くは知りませんでした。でも、当時アマチュアからプロへ移行する過程のチームには、浦和や埼玉県出身の選手が多く在籍していたんです。監督の斉藤和夫さんもそうですし、名取篤さんや広瀬治さんなど、何人もいました。彼らから『浦和は結構サッカーが熱いんだよ』という話を聞いていたけれど、『そうなんだ』くらいで。その後、正式に浦和で活動することが決定して、田町にある準備室を畳み、浦和へ引っ越しすることになったんです。ちょうどクリスマスでした。JRの浦和駅に到着して『浦和市仲町の何丁目……』と住所を頼りに新事務所へ向かおうとするんですが、たどり着けなかったんですよ(笑)」
――駅から徒歩10分くらいで、大きな道を通れば、結構簡単な場所にありますよね。
「そう(笑)。ただ当時はスマホで調べて……という環境ではなかったので、交番へ行って道を尋ねました。『そのビルなら、須原屋さんという大きな本屋さんの横だね。誰でも知っているから、わからなくなったら、その本屋さんの名前を出せばいいよ』と教えていただいて。まだ今ほどにぎやかではなかった商店街を歩きながら向かったんですが、都心の田町と比べたら食事をするお店も少なくて『ここで仕事するの?』という気持ちもありましたね」
――事務所は移転したけれど、練習場はまだ調布にあったんですよね。
「はい。浦和での練習場も決まっていなかったので、浦和で事務作業をしたあと、練習になると調布へ移動していました。寮ももちろんないので、ビジネスホテルを借りて、そこに洗濯機や電子レンジなどを設置して独身寮にしました。本当に何もなかったので」