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「サッカーって面白いの?」「日本でプロなんて」の声も…“三菱時代”から浦和レッズを支える女性職員に聞いた“Jリーグ誕生前夜”の物語 

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寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byMiki Fukano

posted2023/10/10 18:00

「サッカーって面白いの?」「日本でプロなんて」の声も…“三菱時代”から浦和レッズを支える女性職員に聞いた“Jリーグ誕生前夜”の物語<Number Web> photograph by Miki Fukano

前身の“三菱時代”からクラブを支える浦和レッズの職員・村瀬佳代さんに、Jリーグ誕生前夜のドラマを聞いた

――そこで与えられたのがサッカー部のマネージャーという仕事だったと。

「そうなりますね。今でもよく覚えているんですが、当時の重工の社長だった相川賢太郎さんが『与えられた仕事を天命とせよ』というお話をされたんです。不本意な部署に配属になり、イヤな思いをされた経験が社長にもあったそうです。でも、それを命題と捉え、与えられた仕事で自分には何ができるのかを考え、やってみることが重要だということです。そのお話を聞いて、『仕事は待っているだけじゃダメなんだ』ということを20代前半の私は思いました」

「サッカーって面白いの?」プロ化以前のリアル

――取引先が国や企業という三菱重工より、自動車販売の三菱自動車のほうがプロスポーツを身近なものとして支援してくれるのでは、と森さんは考えていたという話を聞いたことがあります。そして、三菱自動車工業へ移り、マネージャーの仕事だけでなく、発足したプロ化準備室の仕事もスタートするんですね。

「JSL時代は観客も少ないし、入場者数も現在のように正確に数えることもなくて、『まあ、これくらい入れば6000人かな』みたいな(笑)。会社の福利厚生という面も大きくて、応援してくれるのはほとんどが社員の方々。『福田く~ん、頑張って!』という感じの声援でした。それでもチケットをさばくのが大変で……。『サッカーって面白いの?』と言われることも頻繁にありました。やはり当時のプロスポーツといえば、野球です。プロ野球のようにサッカーが根付くとは想像もできなくて。両親からも『大丈夫?』と言われましたね」

――しかも、三菱自工サッカー部はなかなかホームタウンが見つからなかった。

「そうなんです。プロ化準備室は東京都の田町にある三菱自工の本社の裏の元ショールームのような場所にありました。自動ドアがあり、入るとすぐにカウンター。奥の事務所で森さんや斉藤さん、佐藤仁司さん(現・Jリーグ)と作業をしていました。練習場が調布にあったので、当初は東京都と話し合いをしていたのですが、調整がうまくいかなかったようです」

【次ページ】 浦和という街に根を下ろした“はじまりの日々”

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