巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

原辰徳27歳が婚約で、なぜか中日・落合博満に電話殺到「原に“おめでとう”と言いたい」…ウワサされた「落合ダイエー入り」FA移籍前夜の騒ぎ

posted2023/09/10 11:02

 
原辰徳27歳が婚約で、なぜか中日・落合博満に電話殺到「原に“おめでとう”と言いたい」…ウワサされた「落合ダイエー入り」FA移籍前夜の騒ぎ<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1987~93年シーズンまで中日に在籍。その間にリーグ優勝1回。本塁打王2回、打点王2回など多くの打撃タイトルを獲得

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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プロ野球初のFA選手になり、40歳で巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 本連載でライター中溝康隆氏が明らかにしていく。第3回(前編・後編)は“FA前夜”の狂騒。「オレも3億円だ」とまさかの年俸調停し、「落合ダイエー入りか」と騒がれた。【連載第3回の後編/前編へ】

◆◆◆

原辰徳の婚約で…落合家に電話殺到

 叩き上げの異端児・オレ流とエリートのアイドル・若大将――。その生き方の違いから水と油のようにも思えるが、実は1986年5月、原が6歳年上の女性と婚約発表すると、落合家にはマスコミから電話が殺到した。9歳年上の妻・信子に姉さん女房の先輩として、各社がコメントを求めたのである(なお、落合は若手時代に鹿児島キャンプで知り合った地元の4つ年下の女性に一目ぼれして、プロ2年目のオフに一度目の結婚〔1980年〕をしたが3カ月で別居後離婚。信子夫人とは再婚〔1984年〕となる)。

 落合本人も週刊宝石の自身の連載「三冠王落合博満の広角フリートーク」内で、野球選手の姉さん女房について、「家庭がちゃんとしてなかったら、おちおち“出稼ぎ”にも行けない。このあたりは、単身赴任のサラリーマンの心境にも似ているんじゃないの。そういう意味でも、今回の婚約は、原にとってものすごくいいことだし、遅ればせながら『おめでとう』と言いたいね」とお祝いの言葉を贈っている。

「落合放出」「落合ダイエー入り」

 92年7月には、その原が任期満了に伴い、労組選手会の会長職を退き、阪神・岡田彰布が3代目の会長に就任。運営委員に名を連ねたのが、西武・石毛宏典、原、そして落合の3名である。形的には、落合と原は共闘関係にあったが、落合は役員を退き、選手会そのものから脱退して物議を醸す。しかも腰痛の悪化で92年シーズンは精彩を欠き、打率.292、22本塁打、71打点で無冠に終わり、チームは最下位に低迷。プロ15年目で初の減俸となった。

【次ページ】 「落合放出」「落合ダイエー入り」

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