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総合商社、広告代理店、コンテンツ会社代表、海外でMBA取得…日本一に挑んだ“偏差値70超え”難関国立大アメフト部「最強世代」の“その後”
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by取材対象者提供
posted2023/08/26 11:04
弱小校だったはずの一橋大アメフト部が日本一に挑んだ2007年。その立役者たちのその後の人生は…?
監督を務めた猪股は、2015年にチームの指導から離れた。現在はフリーのコンサルタントとして様々な業務に携わっている。
渡辺たちの代が卒業したあとも、猪股のコンサルフットボールの手法は変わらなかった。
ただ、目標設定から課題を見つけ、その解決法を高い解像度で見出すという課題解決型の指導法は、裏を返せば選手を一人前の大人として扱い、その自主性に多くの部分が委ねられているとも言えた。
それは、上手く行けばとんでもない力を発揮する一方で、一度歯車が狂い始めると自力では止められないリスクもはらんでいた。猪股が指導するなかでも、順調にいった代もあれば全くうまくいかなかった代もあったという。
「だからこそずっと強い強豪大学はそうならないようにしっかりと指導者が管理して、規律があるわけです。それはそれで本当にすごいことだと思います。ただ、選手も指導者もリソースが限られ、運動能力でも劣る国立大で同じ手法で勝つのはなかなか難しい。
コンサル的な手法でチームを強化するには、指導者と選手のキャッチボール……というか議論がたくさん必要なんですよね。でも、少しずつ学生の気質も変わってきた。だんだんと素直な学生が増えたというのかな。こちらの言うことに首肯しちゃって、そこのやりとりが上手く流れなくなってきた。それがやめた理由と言えば理由かもしれません」
「2007年の一橋大フットボール」の強さのワケ
なぜ、あの年の一橋は日本一に肉薄するほどの実力を備えられたのか。
少し考えてから、猪股はこう答えた。
「やっぱり傍から見ても無謀に見える目標を、本気で信じられたところなんでしょうね。あの代の選手は、1年目から『日本一になりたいんです』って言っていましたから。全然、試合でなんか勝ててないのにね(笑)。それでもそれを信じられるだけのチームメイトがいて、いい意味でのガムシャラさがあったんでしょう」
猪股の超論理的指導に対応できる明晰な頭脳を持ちながら、それとはアンバランスなほどに遠い目標を信じられる盲目さ――それを兼ね備えたあの年の一橋は、一瞬の奇跡のような世代だった。
現在、一橋大学アメフト部は関東2部リーグで戦っている。
彼ら以降、日本一に届きそうな国立大学は現れていない。